桜井章一氏

話しても問題ない話をしよう。雀鬼会のメンバーと八丈島に遊びにいったときの話だ。

台風が近づいていて波が荒かったが、私は危ないものに魅かれてしまうので、みんなを連れて桟橋に行った。そのときふと違和感を感じて、私たちは桟橋の先端部に移動した。その瞬間、大きな波が立って桟橋や埠頭を洗い流した。たまたま桟橋の先だけ波にさらわれず、私たちは全員無事だった。桟橋で危険を感じたら、陸のほうに引き返すのが合理的な考え方だ。しかし、あの瞬間は、自然に体が先のほうに動いていた。あれは運が助けてくれたというほかない。

では、土壇場のところで運に助けられる人とそうでない人は、どこが違うのだろうか。考えられるのは、不安の強さだ。

不安の強い人は自分を守ろうとしていろいろなものを身につけ、自らを重くしてしまう。重い荷物を抱えている人に運は味方しない。80の荷物を抱えた人と、3つしか荷物を持っていない人なら、運は軽そうな3つの人のところに風を吹かせる。

人間だから、不安を完全になくすのは無理だろう。しかし、危ない状況を自ら楽しむ意識があれば、不安はうんと小さくなる。若いころの話だが、私は1対1の喧嘩より、3対1くらいで不利な喧嘩のほうがわくわくした。そういう性分なので、恐怖や不安といった感情に押しつぶされることはなかったし、だからこそ土壇場で運が助けてくれたのだと思う。

不安は、何かを守ろうとしたり損をしたくないという心理から生まれる。そうした現実的な損得にかかわることを1つ行ったら、損得の入らないことを2つ、3つ行うとよい。バランスが取れ、不安を押し込めることができるのだ。