今の時代の「坂の上の雲」は何か

自民党は民主党が我慢したように3、4年は我慢する、その覚悟が必要だ。国際社会において日本はどのような存在感を発揮するのか。国内においては、いかに国民を安心させ、勇気づけられるか。そうした問題の課題解決に向けて、この3、4年でいかに政策に磨きをかけるかだろう。リーダーが、祖父の鳩山一郎さんの大らかな人柄を受け継いでいるせいか、鳩山政権はオープンで明るい印象を受ける。ただし、政治資金の取り扱いの過ちは、政治家の基本に欠陥がある。

私や田中角さんの世代の政治家は敗戦というものを経験しているし、実際に戦争にも行った。戦争を経験することで自分の体の外にあった国家という存在が、自分の体の中に入って大きな柱になった。よし悪しは別として、我々の世代が戦争の最後の遺物だろう。今の政治家にはそういうものがない。それぞれに努力されているし、修養もされているけれども、仕方のないことだが、国家を自分の体内に取り込むような機会には恵まれない。

しかし、今の指導者的な政治家も若い政治家も、国家に対して、あるいは政治に対して自分はどう向き合うべきかという柱はおのおの持っているように思う。また、そうでなければ政治家としてやっていけないのだ。私が内閣の時代は国権の回復と内政の革新が『坂の上の雲』だった。今の日本にとって『坂の上の雲』とは何だろうか。それを知る人はどこにもいない。『坂の上の雲』というのは後世の歴史家や小説家が見つけるもので、時代の当事者にはわからないものだ。

秋山兄弟も坂の上の雲をつかもうとしたわけではない。国や郷土をひたすら愛し、国民としての義務を果たしたにすぎない。今の時代も同じである。国際的な潮流をどう生き抜くか、国民的な不平等をどう解消してゆくか、といった目の前の風を乗り切るために息せき切って坂を上るしかない。国政の責任者になると坂の上の雲を見上げている余裕はないのだ。ただし、見上げてはいないが心のどこかにしまっている。

※すべて雑誌掲載当時

(小川 剛=構成 市来朋久=撮影)