4.志半ばで挫折したとき何を励みとすればいいか
松陰は必ずしも最初から処刑されることを受け入れていたわけではなく、『留魂録』も、死を自分に納得させるために書かれた側面があります。では、獄中でどんな境地に達したのか。その心境を記したのがこの言葉でしょう。
現代語訳すると、「今日死を目前にして平安な心境でいるのは、四季の循環に思いを寄せたからだ」でしょうか。
これには2つの意味が込められています。松陰は、人生は四季と同じで、誰のもとにも春夏秋冬がやってくると考えました。だから、自分が冬のときに人が実りの秋を迎えていても羨むなといい聞かせたのです。
もう一つ、自分の志が次の世代に引き継がれるだろうという期待も読み取れます。同じ章で、松陰は「自分が秋に実らせた種はただのもみがらなのか、大きな木に育つ種なのかわからないが、誰かが受け継いでくれたら、穀物が毎年実るのと同じで、収穫があるだろう」と書いています。志半ばで死を迎えるのは悔しいことです。しかし、そもそも自分は延々と続く自然のサイクルの一つに過ぎず、自分が礎となって次世代につなぐことができれば、それで満足だというわけです。