「治るためなら、何でもしたい」という最後の望み

がんが治った人たちから直接話を聞きはじめてしばらくしてからのことでした。抗がん剤治療を受けつつわたしのカウンセリングにやってきた女性がいました。31歳、双子の赤ちゃんがいながら、悪性度の高いステージ3(全4段階)の乳がんと診断されたばかりでした。わたしの目の前で、彼女は泣き出しました。

「治るためなら、何でもしたいの。子どもたちには母親が必要なんです」

彼女は疲労困憊し、最後の望みを求めてわたしに思いをぶつけてきたのです。泣きじゃくる彼女を前に、わたしの脳裏に浮かんだのは、医師たちから見向きもされずに放置されていた1000件以上の劇的な生還の症例のことでした。わたしは一息つき、彼女を見つめて言いました。

「確かなことは言えない。でも、何か方法があるか探してみるわ」

がんの劇的寛解の研究のために、大学院博士課程に進み、人生を捧げると決意した瞬間でした。がんから劇的に生還した人々の症例を探し、分析し、この現象について語っていこう。そう決めたのです。

「がんとの闘い」に勝利するために、すでに勝利した人の体験談を聞く。もっともなことですよね。がんからの生還という驚異的な体験の裏には、どんな秘訣があったのか。それを解き明かすため、思いつくかぎりの質問をぶつけて、科学的な検証をしてみるべきでしょう。説明がつかないからといってその事実を黙殺したり、口封じしようとするのではなく、事実に向き合うのです。

「逸脱」した現象に目を向けた科学者といえば、アレクサンダー・フレミングを思い出します。1928年、フレミングがバカンスを終えて実験室にもどると、菌の培養皿の多くにカビが生えていました。長期休暇の後にはよくあることです。フレミングは皿を消毒して、実験をやり直そうとしました。けれども、ここが運命の分かれ道でした。ちょっと待てよと、彼はカビの生えた皿を注視しました。するとなかに一つだけ、皿の中の培養菌がすべて死んでいた皿があったのです。フレミングは、「たまたまだ」とその皿を放置したりはしませんでした。それが抗生物質の先駆け、ペニシリンの発見につながったのです。

本書では、わたしが手がけているがんからの劇的な寛解についての研究成果を、みなさんにお伝えします。アレクサンダー・フレミングに倣って、わたしは標準から逸脱した事象を無視することなく、より詳細に検討していきます。

本題に入る前に、まずは自己紹介をさせてください。わたしが何によって導かれ、このテーマに人生を捧げることになったのかお話しします。