湾岸戦争での手痛い経験
その後もサウジアラビアなどから原油を直接取引することもあった。なかでも、後に出資者となるサウジアラムコと折衝し、取引成立に漕ぎ着けられたことは幸運だった。なみいる石油元売り会社はもとより、海外のオイルメジャー、大手商社と競いながら取引を仕掛けていくのには手応えを感じた。
サダム・フセインのイラクが突如、クウェートに侵攻したのは90年のこと。その日が8月2日とはっきり覚えているのは、私の誕生日だったからだが、衝撃のニュースは風呂場で聞いた。そのころ、当社のトレーディングの守備範囲は現物から先物にまで広がっており、こうした地政学的な動きは即相場に反映する。実際、私もニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)で「将来的に値下がりする」と判断して原油の先物取引を行っていた。
夜の11時ごろだったと思う。大慌てで、霞ヶ関にあった本社に駆け込み、ニューヨークに電話をかけた。案の定、相場は急騰している。そのまま手をこまねいていれば、たちまち何十億、何百億円単位の損出となるリスクがある。そのとき、上司の役員から状況確認の電話が入った。私は「大丈夫です。手は打っています」と即答。彼は「わかった。後は任せた。お前の判断でやれ!」と励ましてくれた。結果的には数億円の損失で抑えることが出来た。
この湾岸戦争では、私自身も痛い勉強をしたが、中東産油国に頼る日本の石油政策の脆弱さが露呈したといっていい。それだけに、石油の安定確保を図っていくためにも、日本政府および関連業界は、刻々と変わる国際情勢と事業環境に目を向けて、的確な行動を起こさなければいけない。それはとりもなおさず、グローバル対応にほかならない。寸時の油断も許されないのである。
1947年、広島県生まれ。県立広島観音高校、中央大学法学部卒。70年シェル石油(現昭和シェル石油)入社。2001年取締役。常務、専務を経て、06年代表取締役副会長。09年会長。13年3月よりグループCEO兼務。