優れた現地法人社長として
これらの話を確実な史料で裏付けることはできませんが、そういう判断を秀吉が下すために必要な情報を、官兵衛が秀吉に上げていた可能性はあるでしょう。ただ、それをもって「官兵衛は秀吉の軍師だった」というのは違うと思います。
数々の手紙からうかがえるのは、官兵衛の本分がやはり秀吉の意図を丁寧に聞いて、実行するところにあったということです。官兵衛は、まず何よりも聞く人であったのだと思います。
だからと言って、官兵衛に軍事的な才能がなかったというわけではありません。秀吉と頻繁に手紙をやり取りして、その意図を汲みながら戦ったというと、まるでロボットみたいな印象を受けるかもしれませんが、そういうことではない。当時の状況を考えれば、彼が局面における戦上手だったからこそ、秀吉から次々に送られてくる命令を遂行することができたというわけです。
そういう史実をふまえ、敢えて現代的な表現を使うならば、官兵衛の立ち位置は海外現地法人の社長と似ていると思います。現法の社長は、本社の指示を仰ぎつつ、現地では自分の判断で素早く的確に動かなければなりません。たとえば現地政府との交渉、物資の調達、工場などの建設、従業員の採用ということです。官兵衛もそういう必要なことはすべて自分で判断し、確実に遂行できる人物だったのだと思います。
戦国時代という当時の状況を考えてみると、これがいかにすごいことかわかります。官兵衛が仕えた信長、秀吉、そして家康という武将たちは、簡単に言ってしまえば、日本統一という前代未聞の難事業を成し遂げたのです。官兵衛はその難事業の、いうなれば現地責任者です。
官兵衛と秀吉との出会いは、秀吉が中国攻略の責任者として播州に攻め入った天正5(1577)年頃ですが、それから秀吉が亡くなるまで彼に仕え、秀吉による天下統一に大きな貢献をします。西国の雄、毛利家との交渉においても、九州遠征においても、重要な役割を果たしています。