秀吉自筆の手紙が意味するもの
秀吉が官兵衛と出会った最初の頃、秀吉が自筆で書いた官兵衛への手紙が残っています。秀吉ほどの武将になると手紙は右筆という書記官が代筆するほうが普通ですが、このときは秀吉が自ら筆を執った。その仮名の多い手紙に、秀吉は官兵衛のことを、あなたは「弟の小一郎と同然なんだよ」と書いている。
人の心をつかむのが上手だと言われた秀吉ですが、やはりこれは絶妙な表現だと思います。初めて会った頃から、2人の間には、ただの上司と部下というだけでない何か、心の通う何かがあったのではないかと思います。もちろんこれは私の想像にすぎませんけれど。
そして官兵衛も最後まで、秀吉を裏切ることはありませんでした。晩年の朝鮮出兵は明らかな秀吉の失策でした。官兵衛もそれが、失敗に終わるであろうことを予見していたに違いありません。それでも官兵衛は、秀吉の命により2度ほども朝鮮に渡っています。期待されたような成果を挙げることはなかったけれど、それでも秀吉が亡くなるまで、官兵衛は秀吉の忠実な家臣であり続けました。
けれど秀吉が亡くなるとすぐ、家康についています。この転身は非常に早かった。2度目の朝鮮出兵から帰国してから間もなく、家康方についています。信長につくことを決めたときと同じように、時勢を完全に読み切った見事な行動でした。
諏訪勝則
陸上自衛隊高等工科学校教官。1965年、神奈川県横須賀市生まれ。國學院大學文学部文学科卒、同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。単著に『黒田官兵衛』(中公新書)、共著に『黒田官兵衛のすべて』『戦国織豊期の政治と文化』などがある。
陸上自衛隊高等工科学校教官。1965年、神奈川県横須賀市生まれ。國學院大學文学部文学科卒、同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。単著に『黒田官兵衛』(中公新書)、共著に『黒田官兵衛のすべて』『戦国織豊期の政治と文化』などがある。
(石川拓治=構成 AFLO、PIXTA=写真)