死と隣り合わせの耐え難い恐怖
自宅に来て1カ月あまり、外出したのは、散髪に行くなどの2回きり。また拘置所へ連れ戻される、との思いがよぎるのでしょうか、あとは家にこもったままです。来訪者があっても、
「何か用事があるんですか。私はあなたに用事はありません」
と言ったり、小中学校の同級生が訪ねてきても理解できていない。
「袴田巖は無実であって、もう決着がついている」
などと、長期間の拘禁の影響が残り、まだおかしな言動があります。でも、これは仕方ありません。48年間も囚われの身だったのですから。そんなふうになったのは、死刑が確定してからでした。それまでは面会に行くととても元気で、こちらが励まされるくらいだったんです。
80年に最高裁で上告が棄却され死刑が確定したあとのことです。いつものように面会に行くと、
「隣の部屋の人が処刑された。みんながっくりしている。『みなさんお元気で』と言って消えてしまった……」
巖はそう言って愕然としていました。処刑を身近に感じ、それからおかしくなってしまいました。死と隣り合わせの耐え難いほどの恐怖が迫ってきて、だから、自分で「神」と名乗り防御するようにしたのだと思います。
妄想とともに、軽い認知症とも診断されています。今すぐに治るものではないでしょう。慌てずに少しずつよくなっていけばいいと思っています。48年間かけてこうなってしまったので、48年かけて治していきたい。私はそのくらいのつもりで覚悟を決めています。またいつか、お友達を巖が笑顔で迎えられる日が来ることを信じています。
実は、巖の立場はまだ「死刑囚」のままです。再審開始の決定はなされましたが、検察が即時抗告をし裁判がいつ始まるか不透明です。裁判所と検察、弁護団の三者協議もこれからです。1日も早く無罪判決を出していただき、本当の意味で巖の肩の荷を降ろしてあげたい。そうなれば、巖も健康を取り戻せるかもしれません。
1933年、静岡県浜松市生まれ。33歳のときに起こった袴田事件で、実弟の巖さんが逮捕され、後に死刑が確定。以後、独身のまま巖さんの救済にすべてを捧げてきた。