中国産の養殖物が価格暴落の引き金に
天然ウナギ減少を補ったのが、シラスウナギの養殖です。1970年代に、河口でまとめて漁獲できるシラスウナギを成魚まで飼育する技術が普及し、ウナギの大量生産・安定供給が可能になりました。ウナギの大量消費時代の幕開けです。
養殖が盛んになると、シラスウナギの漁獲量が減少していきます。親が減っているのだから、子が減るのも当然と言えば当然です。シラスウナギは海からやってきます。ということは、日本だけでなく、ウナギ資源が全体として減少していると考えるのが自然です。今思い返すと、この時点で、ウナギの生息環境をきちんと調査して、何らかの手を打つべきでした。残念なことに、現実は全く逆の方向に進んでいきました。
1980年代から台湾でも、日本向けのウナギの養殖が盛んになり、台湾と日本で合わせて8万トン程度のウナギが供給されていました。この時期は比較的価格も安定していました。1990年代に入ると、ヨーロッパウナギのシラスを中国で養殖して、日本向けに出荷するルートが確立され、安価な養殖ウナギが大量に日本に流れ込みました。2000年前後に、日本市場へのウナギの供給量はそれまでの倍の16万トンまで増えました。その結果、暴落と言ってもよいほどの価格の低下をもたらしたのです。
伝統的なうなぎの食文化は、「串打ち3年、裂き8年、焼きは一生」といわれるような、職人の技術によって支えられてきました。なぜ焼くのが一番難しいのかというと、天然のウナギは、大きさも脂ののりもまちまちです。それぞれのウナギのコンディションを見極めて、適切な焼き方をするのは、一生かかって追求する職人の技だったのです。養殖ウナギは脂ののりも大きさも均一です。同じように焼けば、同じように仕上がります。養殖による魚の品質の画一化によって、機械で大量に処理できるようになったことも、ウナギの価格低下の一因です。
過剰供給による価格の暴落は、長続きしませんでした。ヨーロッパウナギがシラスの乱獲で絶滅危惧種になってしまったからです。ヨーロッパウナギによる「うなぎバブル」が弾けてしまったのです。
日本の商社は、代替品として、熱帯ウナギのビカーラ種に着目しています。このウナギは資源として小さい上に、生態の把握もされておらず、現地での管理体制が整っていません。日本の大量消費システムに取り込まれれば、あっという間に消滅すると専門家は考えています。国際的なレッドリストを管理している国際自然保護連合(IUCN)は、ビカーラ種に関する情報がほとんど無いにもかかわらず、日本市場が狙っているという理由で準絶滅危惧種に指定しました(6月12日「毎日新聞」 ※2)。資源の持続性を欠いた日本の消費活動は、それだけ恐れられているのです。