蒸留技術と新薬開発

泡盛は日本における焼酎の元祖もしくは伝来経路のひとつとされている。「李朝実録」には、15世紀、難破船が沖縄へ漂着した際、 焼酎を飲んだ記述があり、これが泡盛の古酒(くーす)であったというのが定説だ。

蒸留酒のルーツを探ると、西はアレクサンドロス大王、東は漢の武帝、魯の昭公まで遡るようだ。その根拠は、これらの時代に蒸留 器が製造され、ビールをウィスキーに、酒を焼酎へと加工できるようになったから。

この蒸留器は、元来、錬金術用に開発されたものだったが、それがスピリッツひいては薬品加工にも流用というか応用されるように なる。

ところで、わが痛風の特効薬コルヒチンはどうなっているか、というと、紀元1世紀、ディオスコリデスは、その原料となるイヌサフランについて、

「これを食べると、キノコの場合のように窒息して死ぬ。この植物は、(中略)保存したり、食べたりしてはならないことを強調しておきたい」(鷲谷いづみ訳『ディオスコリデスの薬物誌』エンタプライズ)

巷間、流布されているように、「イヌサフランは痛風の治療薬」などという記載はまったくなく、それどころか毒草として扱っている。

では、いつ頃から着目されたのか。木原弘二著『痛風』(中公新書)によると、紀元6世紀、ローマの医師アレキサンダーがイヌサフランの根にも痛風の痛みをやわらげる効果がある、と指摘。ただし、彼は痛風対症用に採りあげた40種類もの薬剤のひとつに加えたに過ぎず、有効性は下剤として働くことにもとづいていると考えていた、とある。

その後、中世に入ると、イヌサフランは毒薬とみなされ、使用を禁止されてしまう。

コルヒチンは一日にして成らず。

人類がコルヒチンにたどり着くまでには2000年以上にも及ぶ、ながい苦難の歴史を経なくてはならない――。

(佐久間奏=イラストレーション)
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