しかし、映画化までは悪戦苦闘、血みどろの十数年でした。こんな映画に客は一人もこないと、どこの映画会社も見向きすらしないのです。売り込みに10年が過ぎた頃、これじゃラチがあかないと、自前の独立プロを作り、そこで作ろうとしたら、急に風向きが変わり、東宝と松竹が共同制作を申し入れて来たので、野村芳太郎さんが監督でもあり、松竹との共同制作と決め、念願の現場が始まったのです。

『砂の器』はロケーションの多い仕事でした。東北の亀田、伊勢、大阪、北陸の石川、それに本舞台の奥出雲の亀嵩……親子の旅では条件狙いの、青森の竜飛岬、長野県のあんずの里など、今でも心の底に残り消えない華麗な絵の連なりです。言い換えれば、『砂の器』は、太平洋上の細長い弧状列島、日本という国の原色図鑑ではなかったのではないでしょうか。


出雲大社の注連縄に思いを託す。縄には、旅人の放った賽銭が残る(左)。映画『砂の器』で「亀嵩駅」として撮影に使われた「八川駅」。現在も当時のホームがそのまま残る(右上)。実際の亀嵩駅。昔日の面影が残る構内。駅の隣の食堂では蕎麦を食すことができる(中・中下)。「割子」の他にも、蕎麦湯の中に蕎麦を入れる独特の「釜揚げ」などがあり、地元の人々と観光客で賑わっている(右下)。


 原作者の松本清張さんがいう。

「橋本さん……僕の作品で映画になったのは数多いけど、中でも一番いいのは『砂の器』これは飛び抜けてるよね」

松本さんの作品には、従来の探偵物や推理物を超越する何かがある。犯罪者を単なる悪人とせず、一人の人間としての深い心理描写である。緯度では亜熱帯の地域だが、大部分が温帯で四季があり、その湿潤な風土が醸し出す、生きていく人間の哀歓(あいかん)……これが松本作品の原点である。『砂の器』もそうした特色を強く内在する一つではなかろうか。

(撮影・岡倉禎志)