そして父は秋葉原に出会った
私自身が父の趣味と関わることになるのも同じ1970年代で、私が小学生の頃でした。夏休みの宿題の自由研究として、毎年父に電子工作を手伝ってもらいました。その材料を買いに、よく日本橋に連れて行ってもらいました。真空管ラジオや蛍光灯スタンドなど、明らかに小学生の作品らしからぬ出来栄えでしたが、学校では毎回表彰されて嬉しかった記憶があります。
当時、短波ラジオで海外の放送を受信するBCLブームが起こり、父に買ってもらった受信機をいつも持ち歩いている時期もありました。そのうち、自分でも放送局を持ちたくなり、アマチュア無線の免許を取ったのは5年生の時でした。最も簡単な「電話級(今の第四級)」の免許にも高校レベルの物理や法律の知識が必要で、当時は択一式ではなく記述式。毎日父から教えてもらいました。学んだ内容はすっかり忘れましたが、父のていねいで分かりやすい説明に感心していたことは今でも覚えています。
ちょうどそのころ、父は初めて秋葉原と出会うことになります。東京出張のついでに秋葉原に立ち寄ったのです。そこには、巨大出力の真空管など、日本橋でも見たこともない珍しい電子部品が数多くあり、大いに驚いたそうです。父が初めて訪れた1970年代後半の秋葉原は、中央通り沿いを中心に高層ビルが建ち始め、中央通りを挟んだ秋葉原駅と反対側の地域にも電子部品関連の店舗や卸業者がつぎつぎと誕生し、「秋葉原」と呼ばれる地域が徐々に拡大していた時期です。父が血沸き肉躍る思いをしたことは想像に難くありません。
そして、いよいよ秋葉原発のパソコンの時代が日本にやってきます。父もコンピュータにはまっていくことになるのですが、その話は後篇に続きます。