当時の状況では米英との協調は困難

桂・ハリマン協定については、いかに日米関係が重要だといっても、「日本人が多くの犠牲を払って獲得した満洲の権益を、なぜ他国と共有しなければならないのか」という国内世論の反発が強かったことは想像にかたくない。「それでも日米の協力には意味がある」とする主張は、その後の歴史の帰結を知っているから成り立つものだろう。

また日露戦争後、日米関係はむしろ悪化する方向に向かっていた。米国では日系移民が増加し、それにたいする差別的な扱いが両国間に不信を生むこととなった。そして1924(大正13)年には排日移民法が成立し、日本ではさらに反米感情が高まった。そうした状況を踏まえれば、たとえ桂・ハリマン協定が実現していたとしても、友好関係が長期にわたって維持されていたかどうかはわからない。

日英同盟の失効についても、第一次世界大戦後の国際協調的な外交の潮流のなかで生じたものだった。当時は多国間の秩序構築が志向されており、ヨーロッパではヴェルサイユ条約などを基盤としたヴェルサイユ体制が築かれ、アジア・太平洋地域ではワシントン会議を契機とするワシントン体制が築かれることになった。