「当たり前」のスーツは「ふがいない」のか
ところで、私は以前、リクルート社の『就職ジャーナル』を1968年の創刊から2010年の休刊(ウェブへ移行)まで一通り眺めたことがあるのですが、就職活動におけるスーツがほぼダークグレー一色というのは、ここ15年ほどの傾向に過ぎないようです。管見の限りで、スーツに関する最も古い言及は、1979年10月号の記事「特集 会社訪問スタート」ですが、ここでは明治大学の出陣式に参加した学生のほとんど(「まあ98%といったところ」と表現されている)が紺色のスーツであったと報じられています。
1980年10月号の「スタート! 会社訪問」でも、紺色のスーツに赤かえんじのネクタイが当時の定番スタイルであると紹介されています。これが、1987年12月号の「センパイたちの就職白書」ではグレーのスーツがみられるようになってきたこと、1989年12月号の「定点観測‘89」ではグレーが三割程度みられたということがそれぞれ報じられるようになります。1993年から1996年の記事では、グレーが多い、紺が多いという記事がそれぞれ双方みられるのですが、こうしたプロセスを経て、1990年代後半にダークグレーのスーツ一色となるという状況が生まれたようです。
ダークグレーのスーツを着るのが当たり前という現状は、カギカッコつきの「当たり前」、つまり社会的に作られたものでしかないわけです。しかし、学生はその「当たり前」をはみ出ることのリスクを非常に重く見て、その「当たり前」に自ら収まっていくのです。これを、今の学生の「ふがいなさ」と笑うべきでしょうか。違いますよね。1970年代から1990年代半ばまで、紺色のスーツが非常に多くを占めていたことを考えれば、当時の学生も当時の「当たり前」に自ら収まっていたわけです。その意味で、日本の就職活動において学生が何よりも避けようとする、「当たり前」をはみ出ることのリスクという問題はより根深いものがあるように思えます。
さて、次回も今週述べてきたような、選択肢が増えて複雑化する就職活動、という観点から話を進めたいと思うのですが、次回は特に、近年になって現われたトピックについて考えてみたいと思います。