信長に通じる前田利家の残酷さ

前田家の祖はいうまでもなく前田利家である。まずは利家の人生に、徳川家康から一目置かれた理由が見いだせる。

若いころから武勇にすぐれ、槍の名手として知られた利家は、尾張(愛知県西部)の土豪の四男だった。織田信長に仕え、早々から功を重ねたが、信長の寵臣を信長の面前で惨殺するという過ちを犯してしまう。この時点で成敗されても不思議ではなかったが、柴田勝家らのとりなしにより出仕停止処分で免れた。

その後、永禄3年(1560)の桶狭間合戦などに無断で参戦しては首級を挙げるなどし、帰参を許されると、その後は順調に功を重ねた。とくに永禄12年(1569)には、四男なのに家督を継ぐように信長から命ぜられ、こうして前田家の当主となると、信長の主要な戦いに軒並み参戦した。