倒産寸前に世界一を目指した
「宣言」が社内報に掲載された当時、ホンダは創業6年で株式店頭公開を果たしながらも、主力商品の失敗が相次ぎ、あわや倒産寸前という危機にあった。苦境のさなか、47歳の本田宗一郎はマン島TTレース参戦を表明する。
・「壮大な夢」でマインドを引き上げる
1954年、世界最大のロードレース、マン島TTレースへの参戦を宣言したときの社内報。国産のオートバイで日本人がこのレースに出場するのは初めてのことだった。「全世界最高峰の技術」「優勝」「全世界の覇者」など、社員を高い目標に向かわせるための強い言葉が目立つ。一方で、「綿密な注意力」「細心の注意力」「真摯な努力」など、社員に基本を徹底させることも忘れない。
・厳しく気持ちを引き締める
工場や研究所に貼ってあった直筆の色紙。社員に対して、安全への責任を持つことを強く要求。新入社員への講話でも「責任のもてないような人は、すぐ辞めてもらいたい」と言い切っている。
マン島TTレースは、国際的なオートバイレースである。日本のオートバイは出場したことがなく、ホンダの技術力を世界にアピールする格好の舞台だった。完走するだけでも注目に値するが、本田さんはこう呼びかけた。
「全従業員諸君! 本田技研の全力を結集して栄冠を勝ちとろう、本田技研の将来は1にかかって諸君の双肩にある」
社員は当然、度肝を抜かれた。
「本田さんは他人にアッと言わせることが得意でした。それが大言壮語でなく、ちゃんと有言実行するからこそ、あの人と一緒なら夢が叶うはず、と社員は挑戦意欲をかき立てられるのです」
そう語るのは、初代シビックはじめ数々のホンダ車をデザインした岩倉信弥さんだ。『本田宗一郎に一番叱られた男の本田語録』の著書もある。
「本田さんは短い言葉で本質を突き、社員を奮い立たせました。常識にとらわれず、とにかく実行だと自ら率先して動く人でした」