開業時はなんと路面電車だった

(*京王電気軌道の会社創立)総会ではこのような実態を訴えつつ、鉄道開通の折には沿線が「たちまち東京府下における重要な副市街」(『京王帝都電鉄三十年史』による)になると断言している。

総会の最後には「本会社の鉄道敷設は、東京市および三多摩郡一円を始め、多摩南岸における神奈川県の一部に多大な実益と趣味を与え、新生面を開くにいたる」と述べられている。京王電気軌道の設立には、まさに現在の京王電鉄の姿をめざす理念がこめられていたのだ。