作業員たちのためにつくった意外な施設

大正9(1920)年、八田の指導の下で大規模な水利工事が始まった。巨大なダムを設けた上で平野部に用水路を張り巡らせ、この地を豊かな大地へと変貌させようというのである。これは日本国内でも前例を見ないほどの壮大な事業であった。工事には、日本人も台湾人も一緒に参加した。その数、およそ2000人。

八田は的確な指示で作業員たちをよくまとめ、危険な現場へも自ら率先して足を運んだ。八田は作業員たちのために、宿舎はもちろん学校や病院まで建設した。「良い仕事は安心して働ける環境から生まれる」という理念のもと、八田は町自体をつくりあげたのだった。