『リターンマッチ』に見るどんな人間にもドラマがあるという視点

<strong>柳田邦男</strong>●1936年、栃木県生まれ。NHK記者を経てノンフィクション作家に。72年、『マッハの恐怖』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞、79年、『ガン回廊の朝』で第1回講談社ノンフィクション賞、95年、『犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日』とノンフィクション・ジャンルの確立への貢献で、第43回菊池寛賞を受賞。
柳田邦男●1936年、栃木県生まれ。NHK記者を経てノンフィクション作家に。72年、『マッハの恐怖』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞、79年、『ガン回廊の朝』で第1回講談社ノンフィクション賞、95年、『犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日』とノンフィクション・ジャンルの確立への貢献で、第43回菊池寛賞を受賞。

この『火花』もそうですが、ノンフィクションの究極の意味を問うとき、それは「人間」をどのように描くかというところにたどり着くと思います。

後藤正治さんの『リターンマッチ』は、定時制高校の教師がボクシング部をつくり、不良少年たちが人生と向き合うように奮闘する物語です。実は少年たちだけでなく、主人公の教師自身も様々な挫折を経験しており、定時制高校の一時代を自らのリターンマッチとして生きているのです。登場するのは名もなき若者であり、名もなき教師です。後藤さんは若い頃に『はたらく若者たち』といった作品を書いていますが、市井の人々の中にドラマを見出していく視線には、何か共感するさわやかさをいつも感じます。

人物評伝では、ドウス昌代さんの『イサム・ノグチ』が見事です。著名な芸術家の奔放な人生を、膨大な関係者の証言によって人間臭く描き出した。これだけ丁寧に時間をかけ、読みやすく、読みごたえのある評伝をノンフィクション作家が書いた例はほかにないと言っていいでしょう。

それから梯かけはし久美子さんの『散るぞ悲しき』は、硫黄島での戦闘を指揮した栗林忠道の評伝。栗林忠道が家族に宛てた手紙には、家族を思う気持ち、妻や娘を思う気持ちがきめ細かく描かれています。そうした資料を通して栗林忠道という軍人の人間像を描くことで、本書を戦争の不条理性を浮き彫りにする作品にしています。まさに“簡にして明、簡にして十分”という言葉がぴったりな評伝。簡潔で過不足のない記述が読者に感銘を与える一冊です。

有名無名にかかわらず、人は誰しもが大変なドラマ、物語をもって生きています。ノンフィクション作品に親しむことは、その「ドラマ」を時代の中に位置づける作業であり、自分の立ち位置を理解する標(しるべ)になるといえます。自らの人生を、より深く脈絡をもって理解し、これからの人生に大切なものは何かという「気づき」を与えてくれるのではないでしょうか。