中高年女性に似合う服を作ろうと、74歳でブランドを創設
ドラマでは糸子が晩年、高齢者向けの服をデザインしたが、これも史実通り。ドラマと同じく綾子も娘たちに反対され、長女には自分のブランドの中でやるよう提案されたが、断り、自身のブランドを創設すると宣言。「中高年向けのおしゃれな服」をコンセプトに、74歳にして「コシノアヤコ」ブランドを立ち上げている。
年をとると、体のあちこちにぜい肉がついて、体型が変化する。おしゃれしたい気持ちに変わりはないけれど、巷にはすらっとした若い人向けの服しか売られていないため、着ていて体型カバーができ、なおかつおしゃれに見える服を作ろうと考えたのだった。
まさしく先見の明だが、これについては意外なオチもある。コシノジュンコは『お母ちゃんからもろた日本一の言葉』(イーストプレス)の中でこう綴っている。
「さすがお母ちゃんならではの発想だと感心したものの、発表会にかけつけた私が目にしたのは、私のデザインにそっくりの服……。ほかに『ヒロコ風』もありました。すぐさまお母ちゃんに『私らのデザインの真似やないの』と抗議したら、『あんたら生んだの私や、自分の娘の真似してどこが悪い!』と一蹴。ほんま、お母ちゃんにはかなわん!」
娘のデザインを拝借して逆ギレ、貪欲で豪快な母だった
ドラマでは三女・聡子(安田美沙子)のデザイン練習のために、姉たち2人がデザイン画を送ってくれ、それを母・糸子(尾野真千子)が拝借、窓の光を利用して書き写すシーンがあったが、史実はさらに貪欲だった。
また、ドラマでは糸子が階段から落ちて骨折、1階に運び込んだ介護ベッドで生活し、松葉杖を使うようになったが、綾子が自伝で「生涯最悪の厄年」と振り返るのは、昭和59年春。
1月に旅行先でハイヒールを履いて駅の階段から落ち、骨まで見えるほどの裂傷を負い、13針縫った。また、4月にはヨーロッパ旅行で罹患した肝炎で入院。6月に退院した後、9月にまた階段の一番上から転落、2カ月ベッドでの寝たきり生活を余儀なくされる。
ドラマでは入院した糸子のもとに見舞客が次々に訪れ、糸子は化粧をして出迎え、総看護師長に怒られていたが、史実でも綾子は肝炎で入院した際、7日目に特別に移してもらってから友達を次々に招いて花見をしたり、電話やテレビを入れたり、「気づいたら病室が事務所」状態になっていた。さらに1週間後には職人を呼んで裁断もやっていたというから、ドラマ以上の豪快さだ。