なぜ「株式会社立」にしたのか

高校から大学、大学院、社会人教育までBBTの教育事業は取り揃えられているが、すべて目的とするところは、要するにグローバルリーダーの育成である。世界のどこに出しても恥ずかしくない人材。生き抜ける人材。できれば、そこでリーダーシップを発揮できる人材を一人でも多く世に送り出す。

日本の教育システムに一番欠けている部分は、この「グローバルリーダーを育成する」という意思と実践だろう。だからこそ、私はそこに集中してやっているのだ。

マッキンゼー時代には540人を採用して、厳しく仕込んだ。皆、そこそこ活躍できるようになった。それを今、私はスクール形式でやっている。そのプラットホームがビジネス・ブレークスルーなのだ。

株式会社でやっている理由のひとつは、何かと融通が利くからだ。たとえば向研会のための資料を大学院で使うというように、バランスシートの重要な部分(資産としてのコンテンツ)をすべての事業で共有できる。学校法人となれば、そこは明確に線引きしなければならない。

それに経営の勉強をしたい人にもいろいろいる。ディグリー(学位)が欲しい人もいれば、学んだことが経営に役立てばいいのであって修了証明のようなディグリーは要らないという人もいる。我々としては両方のニーズに応えたい。ディグリーありきの旧来の「学校」では、自由度が低くなる。株式会社のままで学校が経営できるならやりたと考えていた。

2003年10月に、東京都千代田区が従来の学校教育と実社会を結ぶ「キャリア教育推進特区」の認定を受け、同区で株式会社による学校の設置が可能となった。このときに我々は手を挙げ、2004年11月のBBT大学院大学認可に至ったのである。

BBTでは「Lifetime Empowerment」というコンセプトを掲げて、卒業生の再訪を歓迎している。経営に関しては死ぬまでエンパワーしてあげるから、空のポリバケツを持ってエアキャンパスに戻ってこい、ということだ。言ってみれば一種の生涯教育である。

戻ってくればいつでもバケツを満タンに充填してあげる。そこからまた一歩踏み出せばいい。

だからウチの卒業生は離れない。普通の大学は卒業すれば「母校よ、さらば」で寄り付かないものだが、BBTの卒業生は気軽に戻ってくる。

年一回、卒業生の大会「BBTABC(BBT Alumini Business Conference)」が行われる。それぞれの卒業生が「こんなことを始めた」という事例の発表会が朝から晩まで続く。終われば飲み会である。卒業生の活動や交流が活発なのも、意識の高い人材が集まる株式会社立の学校ならではといえるかもしれない。

文科省としては我々のような既成概念にとらわれない教育事業者の存在は厄介らしく、「学校法人になれ」という打診がくる。しかし、私にとっては学校法人の理事長より、株式会社の代表取締役のほうがリーズナブルなのである。

株式会社だから当然、取締役会はあるし、上場企業ともなれば東京証券取引所や監査会社など外部からのチェックも厳しい。社員も経営陣やオーナーの顔色だけを見ているわけにはいかない。BBTが「大前商店」にならない理由は、株式会社だからである。それが私にはとてもありがたい。

株式会社だからといって、儲けようとも思っていない。金が欲しければ一人でコンサルタントをやっている方がよほど儲かる。BBTの株式の半分以上は私が持っているから、株価が上がらなくても焦ることはない。今のようなやり方を貫徹していれば将来必ず大きく成長するはずだ。預かった学生、入ってくる経営者がハッピーであることが第一」と言っている。収益や成長は後からついてくる、という考え方は「Client interest fisrt. Profit follows」が社是となっているマッキンゼーと同じだ。

日本でグローバル人材が育たない大きな理由の一つは、日本の学校教育の閉鎖性、そして会社という枠組みをなかなか踏み越えられない企業社会の閉鎖性にある。それを克服するためのデバイスなり、仕掛けを我々は作っているつもりでいる。

■リーダーシップ・アクションプログラム
http://www.ohmae.ac.jp/ex/leadership/
■問題解決力トレーニングプログラム
http://www.lt-empower.com/
■実践ビジネス英語講座
http://www.ohmae.ac.jp/ex/english/

(次回は「大前門下生に聞く[1]——大前経営塾」 5月20日[月]更新予定)

(小川 剛=インタビュー・構成)