2005年4月、ビジネス・ブレークスルー大学院大学(BBT大学院。現在のビジネス・ブレークスルー大学大学院)が開校する。一期生たちのプロフィールを、大前さんが著書『私はこうして発想する』(2005年、文藝春秋刊)で次のように語っている。
《BBT大学院の一期生五十名の平均年齢は三十八歳。三十代が五四パーセント、四十代が三四パーセントです。学生のうち理系が四六パーセントを占め、大学院卒も二〇パーセントに達しています。いずれにしても企業では中堅どころで、第一線で活躍している人たちです。また、四四パーセントが公認会計士、税理士、中小企業診断士といった資格を持ち、なかには医師や薬剤師もいます。》
その中のひとりに、当時の話を聞いた。
一期生あわや全員落第
「このクラスは全員落第!」
大前さんの特大版の雷が落ちた。2005年の初夏、BBT大学院が始まってすぐのころだ。
「私たちは《連座制事件》と呼んでいます。毎月1日に課題が出て、30日に提出というプログラムがあったのですが、20日になっても着手していない学生がいるとわかって、大前さんが『そんな奴らは経営者に向いていない。全員落第だ』と」
当時を語るのは公認会計士の大原達朗さん。青山監査法人プライスウオーターハウス(当時)を経て2004年1月に独立。仕事をしながらBBT大学院の一期生を修了した。大原さんが大前さんに「出会った」のは、2001年、27歳のとき。
「私は当時監査法人に勤めていて、お客さまの八王子支店で仕事をした帰りでした。駅の本屋で大前さんの『新・資本論』を買ったんです。公認会計士の業界が大きく変わっていくこと、このままではヤバいということはわかっていたと思うんですが、どうすればいいのかわからなかった。それを知りたくて読んでみたんですが、正直なところ、何が書いてあるのかわからなかった」
大原さんは、このときはまだ「学校で学ぼう」とは思っていなかったという。
「大前さんの本は『新・資本論』のあとも読み続けていました。遡って『企業参謀』を読んだのもこのころだったと思います。30歳で独立して、お陰さまでクライアントさんも付いて、7月には本も1冊書いて、目先のことには困らない状態でした。ただ、この先このままではヤバいとも思っていました。でも、どう『ヤバい』のか、どうすればいいのかがわからなかった」
実績を重ね、自負を持つ故に、問題意識も生まれる。次の段階に行くために学びたいと思う。だが、学校に通う時間はない。そういうビジネスパースンの「渇望」に応えるものが、21世紀を迎えたばかりの日本には、まだなかった。