言えなかった「マッキンゼーに入れてください」

後藤玄利(ごとう・げんり) 1967年、大分県生まれ。89年、東京大学教養学部卒、アンダーセンコンサルティング入社。94年5月、同社を退社。同年11月にヘルシーネット(現在のケンコーコム)を設立し、代表取締役に就任。2000年5月、ECサイト「ケンコーコム(http://www.kenko.com/)」を立ち上げる。

医薬品ネット販売大手「ケンコーコム」。1994年に同社を創業した後藤玄利さんは、アタッカーズ・ビジネススクール(ABS)の一期生だ。後藤さんが初めて大前研一さんに「会った」のは、北米最大のスキーリゾート、ウィスラー(カナダのブリティッシュコロンビア州)の山小屋でのことだ。

「1992~93年のシーズンだったと思います。なんかうるさい子ども連れがいるなあと思って見ると、大前さんでした。最初の印象は、日本人なのにすごく大きい声。『マッキンゼーに入れてください』と話をしに行こうかと思ったのですが、プライベートの場だし、怖いからやめておこう、と(笑)。けっきょく、このときお話はしていないんです」

当時の後藤さんはアンダーセンコンサルティングの社員。1989年に東京大学を卒業し、同社に入社。3年目に社内公募に手を挙げ、戦略コンサルティング部門の初代メンバーのひとりとなっていた。

「大前さんの存在を初めて知ったのは学生時代、ストラテジーという考え方に興味を持って『ストラテジックマインド』(1984年、プレジデント社刊)を読んだときだと思います」

マッキンゼーは「しんどいだろうなと思って」、学卒採用に積極的だったアンダーセンコンサルティングに入社。頻繁にアメリカに渡って研修を受けるようになる。大前さんとの「初遭遇」はそのころだった。

「1992年にアメリカは不景気になって、アンダーセンのニューヨーク事務所では6割がレイオフされました。当時のぼくの常識では、レイオフは『クビ』と同義で、不名誉なことだった。でも1年もすると、レイオフされた中から『ITの会社を始めた』という人たちが出てくる。それは日本語のネガティブな『脱サラ』とは違う『スピンアウト』というものだと知りました。しかも、アメリカ経済の急回復は、そういう人たちが担っているのだとわかってきて」

アメリカを追い掛けるように、日本のバブル景気も崩壊する。

「新陳代謝をしなくちゃいけない時期なんだと思いました。何をやるか決めていないけれど、やろう、と」

1994年5月、後藤さんはアンダーセンコンサルティングを退社。同年11月に健康食品の通販会社「ヘルシーネット(現在のケンコーコム)」を創業する。インターネット普及前夜、ダイレクトメールを使った通販会社だ。起業家となった後藤さんは、ある朝開いた新聞の広告で、大前さんが起業家向けの学校を始めると知る。「大前研一の起業学校アタッカーズ・スクール」(のちのABS)の募集広告だった。