直に触れた「起業家たちのパッション」
1996年4月、アタッカーズ・スクールが開校する。授業は7月までの4カ月間。集まった一期生は約100人。その中のひとりとなった後藤さんが振りかえる。
「どんな連中が集まってくるのか、まったくわからなかった。実際に行ってみると海千山千でしたね。ぼくとしてはその中で1人くらいいい人をつかまえることができれば、受講料(18~23万円)はペイできると思っていました。今の当社の顧問弁護士とは、ここで出会っています」
ABSのカリキュラムには2本の柱があった。事業計画の立て方や財務といった体系的な座学と、メンター(すなわち起業家)の講話だ。
「体系的な話は、だいたい知っている内容でした。それよりも柳井正さんや、増田宗昭(カルチュア・コンビニエンス・クラブ創業者)さん、山内溥(当時の任天堂社長)さんといった方々の生の声が聴けることが何よりも良かった。ただ聴くだけでなく、ディスカッションもできるわけですし」
この年発売された「ポケモン(ポケット・モンスター)」を、「すごいゲームになる。ゲーム自体が変わる」と、このとき68歳の山内溥さんが語る。増田宗昭さんは翌年から放送が始めるディレクTV(現在はスカパー!に統合)事業を熱く語る。
「コンサルタント時代にお会いしていた大企業の経営者とはぜんぜん違う。与えられた命題をこじんまりと解いていくコンサルタントともまったく違う。ABSで出会った起業家の皆さんのお話は、ほんとうに、面白かった。方法論とは離れたところで、パッションさえあれば夢は実現できるんだと確信できるようになりました。ぼくは恵まれています。あのABSでの体験がなければ、今のこの会社がないのは間違いない」
大分の老舗製薬会社経営者の息子として生まれた後藤さんには、山口の小さな衣料品販売店を「ユニクロ」へと変えていった柳井正さんのことばが今でも忘れられないという。
「故郷であり創業の地である山口に対する思い、一方で、東京じゃないとできないこと。どちらの話も、通じるものがありました」
7月、ABS第一期が修了する。最後に受講生たちは事業計画書を提出し、審査を受けた。後藤さんが出したものは最優秀ビジネスプラン賞、通称「大前賞」を受賞する。
「そのころ大前さんはナイキの社外取締役をやっていらっしゃっていて、『Just Do It(今やろう)!』とよく言われていた。ABSの講義でも、方法論以前に『もっと気楽にやればいい。企業にくっついていないで、外に出てどんどんやれ』と後押ししていた。そこはメンターの起業家の皆さんも同じです。『失業したって喰うに困らない国なんだから、外に出て、やってみろよ』と。」
すでに起業家となっていた後藤さんではあったが、ABSでの体験は4年後の「第二創業」のときに大きな意味を持つようになる。それは同時に大きなピンチの時でもあった。