絞首に失敗し、締め技で絶命させた例も

気づくと、事務室内に、咳払いが聞こえていた。殊更らしい咳である。平松が発しているのだ。着替えが終わっても、ずっとソファーに腰かけていた。

寺園は、彼のほうに目をやる。むこう向きに座っているが、その背中が何かを言いたげだった。平松とは、もう30年以上のつき合いだ。言葉を交わさなくても分かることがある。

平松は、柔道による「武道拝命」だった。その広い肩幅を見て、ふと思い出す。過去に他の拘置所で起きた、死刑執行時の出来事についてだ。

地下に落下し、宙吊りになった死刑囚が、もがき苦しみ続けている。ロープが首から外れかけていたらしい。やむなく死刑囚の体を下に降ろし、柔道高段者の刑務官が、締め技で絶命させたというのだ。執行後、その刑務官の子供が、不治の病に罹ったという話がまことしやかに語られている。

平松の息子は、9年前に、生死をさまよう大病をした。今もあまり体調は良くないようで、このところ、ずっと死刑執行には、寺園が立ち会ってきた。今回もそうしてくれ、と言うのだろうか。

寺園にとって平松は、「恩人」といってもいい存在だ。職場の先輩として、いろいろと教えられてきたし、私生活においても、種々相談に乗ってもらっていた。感謝しきれないほどの人物だ。その平松との間で、変な駆け引きはしたくない。

12人の「死刑確定者」の顔が思い浮かぶ

平松が、寺園のほうに顔を向けた。寺園は即、平松に対し、その言葉を口にする。

「あした、あれがあったら、また自分が行きます」

平松の表情が、にわかに変わった。笑みが浮かぶ。が、すぐにそれを消して、頭を下げる。

「いつもすまんな」
「気にせんといてください」

寺園は、そう返して立ち上がった。制帽をかぶり、薬の入った手提げ袋を手にする。

「これから西館のほうに行って、薬を届けてきます」
「そうか。ほな寺園、わし、先に帰っとるわ」

軽く頷いた寺園が、そそくさと部屋を出る。

西館の上層階には、死確者が12人いた。そのなかの誰かが、明日、死刑を執行されることになる……。寺園の頭の中に、彼ら一人ひとりの顔が思い浮かぶ。