「経営の中心にあるのは、金ではなく人」
創業100年弱で過去最大のプロジェクトが2015年、始動した。村山いわく「かつてないほど(お金を)借りている」、社運をかけた一大プロジェクトだった。
非上場企業ゆえに、株主への経済的還元を考慮せず大胆な事業計画・実行ができる経営状況も幸いした。そうであっても、原資を回収するうえで建築上のさまざまな制約があるため、通常は、二の足を踏むはずだ。
「損して得を取れですよ。採算が合わないと言うけれど、いい物を作れば、人はついてくるし、お金も後からついてくる。経理38年の自身の経験から、この案件が与える会社への影響はストレスがないとわかっていた。それに、闇雲に儲けてどうするんだ、と問いたい。われわれの経営の中心にあるのは、金ではなく人です。世のため、人のため、地域のためになる経営を行う。単純な話ですよ」
村山の言う「いい物を作る」とは、収益の視点を離れて、「人が中心の街」「空と緑のある街」「オンリーワンの施設」と明快だった。このプロジェクトのために創設された前出の立飛ストラテジーラボの開発チームも、村山の目指す方向性と同じ考えを持っていた。「23区でできないデザイン」「緑のある生活・働く場所」「地域に貢献」――その延長線上が、ウェルビーイングな街づくりだった。
コンセプトは「まちの縁側」
それを具現化する建物のコンセプトが「まちの縁側」だ。縁側は最適な自然の光や風を取り入れ、部屋にいながら外へとつながる開放感を得られると同時に、人が集まる場としての役割がある。
同施設にも、そんな縁側のエッセンスを織り込み、建物、広場、周りの自然の間に境界線のないつながりを作り、そこに人が集まり、そのまま人の豊かさにつながる、そんなデザインを表現したという。
建物の屋根の形状に勾配をかけ、多摩地域の西側の山が見えるように、広場の緑が西側の国営昭和記念公園の豊かな緑とつながるように、建物と自然とがひとつに融合し、まさに村山が理想とするプランが完成した。
通常着工まで10~15年かかるところを、ノープランの状態から3年という驚異的なスピードで着工までこぎ着けた。同社が目指すベクトルが明確だった証だ。