リーダーの所有意識は部下に悪影響

多くのリーダーは、自分が統括するチームやその所属メンバー、そのチームの業績などに少なからず所有意識を持っています。責任感の強いリーダーほど、この傾向が強くなりがちです。

そのため、「自分の仕事」「自分の業績」「自分のお金」といった自分自身の所有意識に加えて、「自分のチームの仕事」「自分のチームの業績」「自分のチームの予算」「自分の部下の仕事」……と、所有意識はより広範囲に、強くなります。

しかし、リーダーの執着が周囲にいい影響をもたらすことはありません。

「自分の部下」だと思えば、本当はちょっとしたミスであったものが「大きな不足」に見え、必要以上の叱責につながりやすくなります。

「自分のチームのプロジェクト」だと思えば、失敗のリスクが必要以上に大きく見え、創造性よりも確実性を優先したくなるでしょう。その悪影響はすでに述べた通りです。

リーダーの所有意識は、組織や業績の成長を阻む要因に過ぎないのです。

大きな手から逃げるビジネスパーソン
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所有意識なくものごとを見るには?

ある僧侶が「どれくらいの財産をお持ちですか?」と問われたとき、「全部持っています」と答え、質問者はその答えの秀逸さに感嘆した、という逸話をご存じでしょうか。この逸話に、所有の概念と上手に折り合いをつけるためのヒントが隠れています。

まず仏教では「所有への執着」が苦しみの一因とされています。何かを「私のもの」と強く所有しようとする気持ちが、対象への執着を生みます。そして、それが失われたり、手に入らなかったりすると、大きな喪失感や苦痛を感じるのです。この執着を手放すことができれば、苦しみを手放すことができると説かれています。

大野栄一『できるリーダーが「1人のとき」にやっていること マネジメントの結果は「部下と接する前」に決まっている』(日経BP)
大野栄一『できるリーダーが「1人のとき」にやっていること マネジメントの結果は「部下と接する前」に決まっている』(日経BP)

この観点からすると、質問者の問いには悪意があることがわかります。というのも、仏教の教えにむかずこの問いに答えることが困難だからです。

仮に僧侶が、実際に持っているもの――身にまとっている衣服や所持している食料などを答えれば、所有にとらわれていることを自ら宣言することになります。反対に、「何も持っていない」と答えたならば、それは、仏教の教えに対するごまかしです。

僧侶の「全部持っている」という返事には、「必要なときに必要なものを得られる」という心のあり方、そして「自分と他人」「自分のものと他人のもの」といった、意識がもたらす線引きにとらわれない考え方があらわれています。「自分が正しい道を歩んでいれば、周囲が支え、必要なものは自然と手に入る(=自分で所有する必要はない)」という信念を持っているからこそ、できる回答ではないでしょうか。

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