「空即是色」にも、ブッダの教えが込められています。万物は、いずれ再生します。ただ、生まれてくるのはいいことばかりではなく、地震や津波など歓迎したくないことも再生してしまう。残念ながら、それを人間の力で押しとどめることはできません。将来、起こりうることのすべてを人間がコントロールするのは不可能です。
ところが、将来を極端に怖がって前に進もうとしない人もいます。これは未来を不安に思う心にとらわれている状態。ブッダはそういう人に対して、「これから起こることを心配しても始まらない。自分にできる限りの努力をしたならば、その後はもう天に任せて思い悩むな」と説くのです。
色即是空が「過去を受け入れる」なら、空即是色は「未来を受け入れる」。仏教では、こだわりを捨ててこの2つの境地に達することを「悟る」といいます。
ノルウェーに出発する日、母危篤の知らせ
私がこのような解釈に至ったのは、40代後半のころでした。学生のころはよくわからなかった『般若心経』の意味が、ある出来事を通して実感できるようになったのです。
1994年2月、私は、冬季五輪が開催されていたノルウェーのリレハンメルという町にいました。五輪の閉会式では次期開催地のデモンストレーションが行われますが、次回開催は長野で、私はそのデモンストレーションの総合プロデューサーを務めていました。
リハーサルは失敗続きでした。巨大バルーンを飛ばす演出なのですが、風の吹き方が不規則で、なかなか計算どおりに浮かび上がってくれない。全世界の人が注目するなかで、失敗はできません。本番までの数週間は、プレッシャーと戦う毎日でした。
一時帰国して、いよいよ本番のためにノルウェーへ再出発する日のことです。早朝、兄から突然電話があり、母が危篤だと知らせを受けました。母は91歳でしたが、「100歳までかるく生きるよ」と公言してはばからない人。まさか母に限ってという思いで、にわかには信じられませんでした。