私が『般若心経』を自由訳というスタイルで訳してみようと決めたのは、それから間もなくのことです。
自由訳ですから、自分の思いが存分に入っています。たとえば「空即是色」を私は単に「万物は変化した結果、再生する」でなく、さらに「それぞれの役割を持って生まれてくる」と訳しています。
新たに生まれてきた赤ちゃんの中には、父と母の命が存在しています。その父と母も、それぞれ父母の命を引き継いでいる。命にかぎらずこの世のあらゆるものは、そうした絆の連鎖の中で生まれてきます。そうした無数の絆に支えられて生を受けたのだから、自分勝手に生を使っていいわけじゃない。1人1人に必ず何かの役割があり、それを果たすことが「空即是色」といえるのです。
こんなこと、『般若心経』には一言も書いてないですよ。しかしそれでいいんです。産婆として死ぬまで現役だった母は、赤ん坊をとりあげながらよくこう言ったものです。
「天才には天才の、凡才には凡才の役割があるわさ。オギャアと生まれてきた赤ちゃんに、役割のない子なんて1人もいない。さて、この子はどう育つかねえ」
それを聞いて育ってきた私には、「空即是色」がそう読めるのです。『般若心経』の最後に出てくる「羯諦(ぎゃてい)」という呪文もそうです。これを直訳すると「彼岸に往く者よ」。ただ、本当にそれだけの意味なのでしょうか。ひょっとすると、ブッダはこの言葉に、「おぎゃあ!」といって生まれてくる赤ちゃんの泣き声を音写したのではないか。私は半ば本気でそう信じていますが、これもきっと母の影響でしょう。
自分が生きてきた背景が表れるのが、自由訳の面白さ。『般若心経』も、解説書どおりに読む必要はありません。それぞれが自分の人生に照らし合わせて読み深めたとき、『般若心経』の世界が広がっていくのではないでしょうか。
1946年生まれ。上智大学卒業後、電通入社。88年『尋ね人の時間』で芥川賞を受賞。2007年「千の風になって」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。05年の『自由訳 般若心経』(朝日新聞社)など、自由訳シリーズがベストセラーに。『子どもにおくる般若心経』では、わかりやすさをさらに追求。