それから約30年を経て自由訳に挑戦したのですが、自分で訳して気づいたのは、「空」は名詞ではないということでした。巷の解説本は、「空」を何か静的な状態を指し示す名詞として訳しています。一方、私の解釈だと「空」は動詞。だから解説書がピンとこなかったのかもしれません。

具体的にいうと、「空」は「変化する」です。空を見上げていると、数分で天気が変わります。さっきまで明るかったのに、急に陰ってきたと思えば、またお天道様が顔を出す。そうやって絶えず動くことを「空」といいます。

「空」は変化をつかさどる時間の神様といってもいいかもしれません。時間の神様は、最強の存在です。どんなに美しい女性も50年も経てばおばあちゃんになるし、その先には死が待ち構えている。そうした絶対的な変化が「空」です。『般若心経』の中でそれを端的に示しているのが、「色即是空」です。この4文字は、目の前にあるコップはもちろん、壁や天井も、木々も山々も、地球や宇宙そのものも、万物は例外なく変化して、いずれ滅びて無になるということを示しています。

そのことにどのような智慧が隠されているのか。ブッダが「色即是空」に込めたのは、「この世のすべては束の間の存在だから、それに執着したりこだわるのは、もうやめなさい」という教えでした。

別の言い方をするなら、「起こってしまった過去を受け入れる」ということです。一度起きたことは、もう変えられません。それなのにいつまでも心をとらわれているのはもったいない。過去への執着から自由になり、あるがままに受け入れたとき、人は平安な心を手に入れ、幸せになれるのです。

ただ、これは空哲学の半分にすぎません。『般若心経』の「色即是空」の後には、「空即是色」の4文字が続きます。これを新井流に訳すと「万物は変化した結果、再生する」です。雲をイメージすると、わかりやすいかもしれません。雲はどんどんと流れていき、いずれは消え去ります。これは「色即是空」。しかし、そのうちまた新たな雲が生まれて、空を覆い始める。これが「空即是色」です。