なぜ明智光秀は謀叛を起こしたのか

さて、明智光秀が謀叛を起こした背景は何か。近年の歴史学界では、織田信長の四国政策の転換が大きく影響したという見解が有力である。四国政策転換説の概要を説明しよう。

【図表1】四国政策転換説をめぐる人物関係図
出所=『日本史 敗者の条件』(PHP新書)

天正3年(1575)、信長は土佐の長宗我部元親に対し、四国を「手柄次第に切り取」ることを認めた。信長に敵対する四国の三好一族を牽制するための措置である。この際、光秀は長宗我部氏の取次(担当外交官、信長と元親の仲介役)に任命された。