2024年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト5をお届けします。子育て・教育部門の第5位は――。
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▼第2位 19人育てた里親「親のない子はこんな残酷なことになるのか」里親から引き離される晩に小2男の子が言ったこと
▼第3位 「ブックオフせどり」が生きる希望だった…元ひきこもり・無職の男性(41)が“年商36億円の古書店”を作るまで
▼第4位 英語ができない人はチンパンジー扱い…「日本人の米グーグル副社長」が31歳から英語を猛勉強し始めたワケ
▼第5位 小中学校9年間、1日も通学しなかった…藝大卒の作曲家が6歳で「絶対に学校には行かない」と決心した"大事件"
※本稿は、内田拓海『不登校クエスト』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
実は、人嫌いでも“コミュ障”でもない
私の家はトラック運転手の父と母、妹2人の5人家族。幼少期はどちらかと言えば、生活を切り詰めるような貧しい時期もありましたが、それ以外はごくごく一般的な家庭だったと思います。
父も母も、普通に義務教育を受けて育ってきていますから、そんな家庭で「学校に行かない」という選択をすることは、大きなチャレンジだったかもしれません。
「9年間ただの1日も学校に通わなかった」と聞くと、たいていの人は私に対してこう思うかもしれません。
「さぞや人嫌いで“コミュ障”なんだろうな」
「周囲や社会から離れて、引きこもって生きてきたんだろうな」
たしかに同世代の子どもとの関わりは極端に少なかったので、半分は当たっていますが、私自身は人嫌いやコミュ障ではまったくありません。むしろどちらかといえば、幼い頃から人とのコミュニケーションが大好きでした。1人で遊ぶだけでなく、近所の子どもや身近にいる大人と遊んでいることも多かったと思います。
保育園で“事件”が起きて、不登校を決めた
「人とコミュニケーションをとることが大好き」という部分は、1人で作業を進めることが多い作曲家になった今も、変わっていません。
そんな私が、なぜ小・中学校に「行かない」と決めて、それを頑なに実行したのか?
不登校を始めるきっかけは、それより前の保育園時代にさかのぼります。今もはっきりと覚えている、明確なきっかけがありました。
母も働いていて共働きだったので、私は保育園に預けられるようになったのですが、通い始めて少しも経たないうちに、“事件”がその保育園で起きました。