妓楼が供する質素な食事
▼図版2は、新造と禿がそろって、一階で朝食を摂っている場面である。大勢が行き交う中での食事だった。
いっぽう、花魁は2階に個室をあたえられていたので、奉公人に自室に膳を運ばせ、ゆっくり食事をした。
昼見世が終わったあと、昼食である。七ツ(午後4時頃)過ぎの昼食だった。新造と禿の食事風景は同じく、図十四のようであったろう。
いったん夜見世が始まるとあわただしいので、新造や禿はもとより花魁も、夕食はちょっとした隙を見て、台所の隅でかき込むようにして食べた。
ただし、妓楼が供する食事は質素だった。御飯こそ白米(銀シャリ)だったが、総菜はせいぜい芋の煮付けと香の物くらいである。新造や禿は粗食に甘んじなければならない。
だが、人気のある花魁は客からもらう祝儀があるため、仕出し屋から総菜を取り寄せ、贅沢な食事をした。妓楼が用意する総菜など見向きもしなかった。
▼図版3は、昼見世が始まる前の、自由時間の光景である。
左から2番目の女は女髪結に髪を結ってもらいながら、手紙を読んでいる。女髪結は毎朝、妓楼にやってきた。
3番目の女は腹ばいになって本を読み、右端の女は足を投げ出した格好で三味線を爪弾いている。
手前の女は男に何やら託している。男は文使いであろう。遊女の手紙を客に届けるのが仕事である。電話もメールもなかった当時、手紙が唯一最大の営業手段だった。
宴席の残り物を食べて栄養補給
▼図版4は、夜見世の時間帯、客の男が芸者や幇間も呼んで、宴席をもうけた場面である。
中央にある豪華な料理は、台屋から取り寄せたのであろう。もちろん、値段は法外である。しかし、ほとんど手が付けられることなく、残った。こうした残りものを深夜、新造たちが食べた。
戯作『総籬』(山東京伝著、天明七年)に、酒宴が終わって芸者が帰り、花魁と客が床入りしたあと――
――とある。蝶足は膳の足の形、「げびぞう」は下品な行為のこと。
新造たちはてんでに、宴席の残った料理を食べ始めたのだ。残飯あさりといってしまえば下品であるが、当人たちにとっては切実だった。
というのも、妓楼から供される食事は質素なため、宴席の残り物を食べて栄養補給をしなければ体が続かなかったのだ。