高級遊女になっても、その地位に居続けることは難しかった
ただ、こうした位上がりは、必ずしもおめでたい事柄ではなかったようです。というのも、同書には続いて「散茶から格子に上がれば、最下位の端女郎に降りることもたやすい」とあります。どういう理屈なのかよくわかりませんが、一度位がかわると身分は変わりやすくなったのかもしれません。いずれにせよ、たとえ高級遊女といわれる位についたとしても、その地位に居続けることは難しかったことがわかります。それでは、遊女になるかならないか、いずれの位につくか等の判断は、誰によってなされたのでしょうか。
ひとつ、興味深い例として、亡くなった遊女の「ついせん」(追善供養)で、その妹女郎を最高位の太夫に据えたという遊女の話が『吉原人たばね』(延宝8年<1680>)にあります。それによれば、三浦屋の唐崎という太夫が亡くなったあと、その同僚であった小紫という太夫が、唐崎の形見である「かせん」を太夫に引き立て、薄雲という名前でデビューさせたとのこと。
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