「有り難い」と気づけない人の末路
人から「感謝されない」、つまり自分自身も人に「感謝しない」人にはある共通点があります。それは日々の中に溢れている周囲のサポートや気遣いを「当然の権利」として受け取っているということです。
感謝の反対は「当たり前」。してもらって当たり前、ご馳走になって当たり前が癖になっていると、相手の努力や思いやりを自分でも気づかないうちに軽視してしまいます。
たとえば、会社に勤めていると、取引先などから贈り物をいただくこともあります。頂き物をした時の反応も人によって全く違います。その場で「ありがとうございます!」とお礼を言うことくらいは誰でもできますが、重要なのはその後です。毎回、必ず感想を添えて感謝のメッセージを伝える人もいれば、もらいっぱなしで終わる人もいます。
相手のことを想い、相手が喜ぶことを考えながら贈り物をした人は「本当に喜んでくれているかな?」「どう感じたのかな?」ときっと気にしているはずです。そんなことにも気づかず「当たり前」に消費してしまう――。こうした小さな感謝の欠如の積み重ねが、次第に周囲との信頼関係を損なっていきます。
感謝するには、想像力と観察力が必要
一方で、「感謝される人」、つまり自分も人に「感謝する人」は、想像力と観察力に優れています。
まず、人に何かをしてもらって感謝の気持ちを持つためには、相手の行動や気遣いに「気づく」ことが最低条件です。誰かが手を貸してくれたとき、助けてくれたときも、それを当たり前だと思っているうちは、そのありがたみに気づくことすらできません。相手の行動に気づき、そこに込められた意図や想いを理解することが、感謝の第一歩なのです。
観察力は、ただ人や物事を「見る」だけでは育ちません。大切なのは、相手の立場に立って「この人はどういう気持ちでこんな行動を取っているのだろう」と想像することです。観察力と想像力をセットで鍛えることで、相手の行動の背景にある思いや配慮を理解し、その人の想いにまで気づけるようになります。