ショーやCM、舞台…一流の仕事が舞い込む日々
ヘアメイクとしてのスタートは初めての渡仏から帰国後すぐだった。大御所カメラマンからポスター撮影の仕事を依頼されたのだ。当時、髪もメイクもできる、いわゆるヘアメイクができる人材は少なく、フランスで学んできたキャリアも武器となった。
さらに、義母に依頼がきたディオールのショーのヘアメイクも任せられることに。ライセンスはあっても、本格的なショーのヘアメイクなんて……。そう尻込みする川邉さんを義母は「優秀なスタッフをつけるから大丈夫よ」と送り出した。
目まぐるしいショーの舞台裏で、川邉さんはトップモデルの河原日出子から「あなた、私のヘアメイクやってよ」と声をかけられる。「こわごわやってみるのですが、当然、全然ダメ。河原さんはとても厳しい人で、めちゃくちゃに怒られました。でも、それが仕事へのやる気に火をつけてくれたんです」
現場を必死でこなすうちに、オファーがどんどんやってくるようになる。ディオール、サンローラン、ヴァレンティノ……。名だたるオートクチュールのショーでは、いつも指名されるほどになっていった。ほかにもCMや舞台、タレントのイメージ戦略にもかかわるようになっていたという。
多忙を極める中、29歳で東京・南青山に自分の店として、美容室「コワフュール芝山」をオープン。女性スタッフばかりの義母の店で人間関係に嫌気がさしていたこともあり、スタッフは全員男性で揃えた。
「私は男社会の問屋で育っているから、女性特有の人間関係がわずらわしくて仕方がなかったの。男性のほうが、言うことがストレートに通じて気が楽だったのよ」
新進デザイナーとの海外への挑戦
35歳で離婚をするが、仕事はますます忙しくなっていく。交友関係も広がっていった。店が隣同士で親しくなったデザイナーのコシノジュンコから紹介され、流行の最先端を行く著名人たちとも親しく付き合うように。
グループサウンズのタイガース、キャンティオーナーの川添象郎、加賀まりこ、渡辺プロ(現ワタナベエンターテインメント)の渡辺美佐……。おしゃれで華やか、アバンギャルドな人々に囲まれる刺激的な日々を過ごすようになる。
その一方で、新進デザイナーの山本寛斎や三宅一生との新しい挑戦にも、のめり込んでいく。寛斎が日本人として初めてロンドンでショーをしたときも、一生が初めてパリでショーをしたときも、その傍らには川邉さんがいた。
海外のファッションショーに精通し、クリエイティブなセンスを発揮する川邉さんは、新人デザイナーの海外進出には欠かせないパートナーだった。とはいえ、「海外に殴り込みに行く!」という熱量で進められた準備は、大変なことの連続だ。
「彼らは全然お金がないから、ほぼ持ち出し(笑)。それでも『やるっきゃない』ってね。本番30分前に、一生がすべてのコーディネートを変えると言い出したこともあったの。もちろん、ヘアメイクもすべてやり直しで、本当にむちゃくちゃでしたね。でも、あの頃がいちばんおもしろかったわ」
そもそも一流のクリエーターには、「これでいい」というものがない。常に前進することしか考えていないからこそ、オリジナルの価値を創り出せるのだ。デビッド・ボウイのヘアメイクを担当したときも、その一流が持つこだわりを感じたという。ボウイは川邉さんが施したメイクからインスピレーションを受けて、決まっていた衣装のスタイリングはもちろん、曲すら変更してしまったのだという。
「決められていないものをやるからこそ、おもしろいんですよ。そんなクリエイターたちと仕事をするのが本当に楽しかった」
しかし、キャリアを重ねるにつれ、仕事へのスタンスを変えたいという気持ちも生じてきた。そこで始めたのが、「大人のトータルビューティ」を提案する川邉サチコ美容研究所(現KAWABE LAB)だ。(後編に続く)