「花嫁修業はしたくない」と美大へ進学
当時のおしゃれの最先端は、日本橋に隣接する銀座。多感な10代を時代の最先端の空気の中で過ごす。海外のファッション誌を眺めながら、米軍の放出品が並ぶ上野のアメ横へ出かけてはおしゃれを楽しんでいた。
高校を卒業すると、女子美術大学図案科へ進学。女性の大学進学はまだまだ珍しい時代だったが、高校卒業後は花嫁修業をしてお嫁に行くという感覚はなかった。「美大に進学したのは、花嫁修業も結婚も嫌だったからなのよ」と川邉さん。
大学卒業後、23歳で幼馴染の男性と結婚。義母が美容家だったことが、川邉さんのその後の人生を大きく変えていく。ある日、義母から誘われ、23歳で渡欧。フランスとイタリアに1カ月半ほど滞在し、フランスではマキアージュスクールにも通いメイクアップのライセンスを取得した。
「結婚の条件は、仕事をしないこと」だったが、この渡欧をきっかけにヘアメイクとしてのキャリアがスタートすることになる。
そもそも、結婚後は「仕事をしない」という条件は、働くのが嫌だったからではない、と川邉さんは語る。子ども時代、両親は店で忙しく、食事はきょうだいだけで済ませるのが当たり前の環境で育った。しかも、両親は店の経営のことで言い争うのもしょっちゅうだ。自分はもっと家族の時間を大切にできる家庭を持ちたい。そんな思いから出した条件が「仕事をしない」だった。
「逆に、小さい頃から働く母の姿を見てきたので、働くのは当たり前だと思っていましたから。加えて、戦後の母親たちのたくましさを見てきましたから、世の中は女の人が働くことで回っているという感覚がありましたね」
フランスで実感した「美容×ファッション」のおもしろさ
フランスでの経験は、すべてが新鮮な驚きにあふれていた。買い物ひとつとってもカルチャーショックの連続だ。手袋を買うときは、専門店で椅子に座りクッションの上に手を置いて、店員が持ってきた手袋をはめてもらって試着する。「勝手に商品を触るなんてマナー違反。どんな小さな店でも同じような感じでしたね」
街並みやライフスタイルの違いもさることながら、何よりおもしろみを感じたのは、美容とファッション業界が密接につながっていることだった。
「一流の美容師から直接、技術を教えてもらったり、ディオールのアトリエを訪れたり。ファッションショーのバックヤードものぞかせてもらいました。そこで美容とファッションが同じカテゴリーで仕事をしているのを見たのが、ヘアメイクという仕事に興味をもった最初です」
その後は、25歳での出産を挟んで、頻繁にフランスへ。海外のすごさと同時に、日本の優れているところへの理解も深まり、カルチャーの捉え方も大きく変わっていった。