「更年期も近い女性心理のすさまじさ」という男性視点の解釈

【角田】語弊があるかもしれませんが、「男性的」な読み方が、「倫子はどうせ嫉妬していたんだろう」という解釈を生み支えてきたと思うんです。でもそうではなく、倫子の自我による行動だったという新しい読みが出てきて、世界が揺らぐ。とてもおもしろいですね。

【山本】倫子が嫉妬したのだろうと解釈したのは、萩谷朴(1917〜2009)氏でした。萩谷氏は、『紫式部日記』の詳細な研究をされたり、『枕草子』(新潮日本占典集成)の校注で日本文学大賞を受賞されたりと、古典研究の世界で燦然と輝く大家です。

でも、氏の『紫式部日記全注釈』を見ると、現在は違和感を禁じ得ない部分があります。

倫子は「元来年上の妻として(他の妻たちに)追われる立場にあった」、紫式部に嫉妬するところには、「更年期も近い女性心理のすさまじさが目に見えるようである」などと、古い時代にお定まりの見方が書かれています。それはおかしい、と私には感じられるんですね。むしろ笑えるのですが、笑って済ませてはいけないと思うんです。

確かに、『源氏物語』で光源氏が12歳の時に16歳で正妻になった葵の上は、4年の年齢差を気にしたと記されています。でもそれがすべてではありません。史実では、夫に最優先で愛された年上の妻は、平安時代にたくさんいます。定子をはじめ、天皇の妻にもいました。おそらく萩谷氏の解釈には、昭和頃の感覚、つまり「男が年上、女が年下。男が前を歩き、女は三歩下がる」という社会通念が、読み方に入り込んでしまったのではないかと思うんですね。

角田光代さん(写真右)と山本淳子さん(写真左)
撮影=KIKUKO USUYAMA
角田光代さん(写真右)と山本淳子さん(写真左)

倫子は44歳でも出産したのに、「床下がり」はあったのか?

萩谷氏は、別の箇所では「権力者の妻室は、自分が女性としての魅力を喪失してしまうような年齢に達した時には、……若い女性を側妾として夫に勧めるような習わしさえあった」と記しています。「床離れ」や「床下がり」といって、夫との性関係を止めたという説で、だから倫子は道長との性的関係を遠慮するのが当然だったのだと。

私は「床離れ」説を高校時代に知って、ではなぜ『蜻蛉日記』の藤原道綱母は20年もの間嫉妬しているのだろう、制度によって性的関係にさよならすることが決まっているのならいつまでも執着したりしないだろうに、と思いました。ちなみに倫子は44歳で出産しており、高齢出産は当時そう珍しくありませんでした。

【角田】「床下がり」ですか。初めて聞きました。

【山本】特にジェンダーやセクシュアリティに関する研究には、「男性的」な思い込みによる誤った蓄積があります。そういったところを検証しながら更新していけば、より真実に近づいていけると思っています。