皇子誕生の祝いの席で道長の妻・倫子が紫式部に嫉妬した?
【角田】だから、読み方も自然と男性優位なものが多かったのかなと思ってしまいます。1990年以降女性の研究者が出てきて『源氏物語』の読み方がどんどん変わっているということに、期待があります。
山本先生も『道長ものがたり』に書かれていましたね。紫式部と道長が交わした和歌から、二人は恋仲だったと断定されてきたのだ、と。あるいは、皇子の誕生五十日祝いの祝宴で、道長の正妻である倫子(りんし/みちこ/ともこ)がふいに席を立ったことについて、道長と紫式部の関係への嫉妬から倫子はそうしたのだ、と。長い間そういう読み方が一般的だったけれども、山本先生は新しい読み方をされていました。
【山本】倫子は、血統も高貴で財産も道長より多く持ち、娘の彰子のために内裏に出入りするなど、積極的に前に出て貢献した女性です。彼女は祝宴の席で道長が言ったことを受けて席を立ったんですね。『紫式部日記』(寛弘5年11月1日)にそのときのことが書かれていますが、道長は酔って妻の倫子にこう言いました。
「宮の御ててにてまろわろからず、まろが娘にて宮わろくおはしまさず。母もまた幸ひありと思ひて、笑ひ給ふめり。よい男は持たりかしと思ひたんめり」
(中宮の父さんとして、まろはなかなかのものだ。また、まろの娘として、中宮はなかなかでおられる。母もまた、運が良かったと思って笑っておられる様子。いい夫を持ったことよと思っていると見える)
道長は、最高権力者として彰子を支えてきた自分と、皇太子候補を産んだ彰子とを讃えているのですが、それは自分に対する「我ぼめ」でもあり、要するに「俺を褒めてくれ」というわけですね。
自分アゲ発言で「俺を褒めてくれ」と求めた道長に倫子は…
【角田】それに対して、倫子は席を立つことで、自分のプライドを行動で示したのだ。そんなふうに山本先生は読まれていました。その箇所を読みながら、きっと倫子は、「何を自分ひとりの手柄だと思ってやがるんだ! 宇多源氏の娘である私の引きがあってこそ、お前はこの地位にいるんだろ! ただの幸人が何を抜かす!」と思ったに違いない、と私が興奮してしまいました(笑)。
【山本】それは痛快。「本音! 倫子」ですね(笑)。