「和菓子の力」を確信した
避難所に着くと、冷めたおにぎりが一人1日2個しか配布されていない状況を目の当たりにした。温かい豚汁を作って提供するグループもあったが、中村さんは持参した小豆、もち米でぜんざいを振る舞うことにした。
「グラウンドの一角でもち米を蒸して、持参した臼と杵で餅つきを始めたんです。でもその杵が途中で折れてしまって。どうしようか悩んでいたら、避難していたおばちゃんが、潰(つぶ)れかけている自分の家から杵を持ってきてくれて。だんだん周りの被災者も寄ってきてくれて、祭りっぽくなったんです」
子供たちは履物もなく、裸足だった。震災直後に、被災地のグラウンドで餅つきをすることを場違いのように感じていた。しかし、最初は疲れ切った悲しい表情をしていた被災者の人たちから笑顔が見えるようになった。
「これがしたかったんだ、と確信しました」
和菓子には人を喜ばせる力がある。和菓子を作って売るだけではダメだ――。中村さんはこの時、「和菓子で誰かの困りごとを解決したい」という思いを強くした。以降、災害ボランティアとして活動していく。
1996年12月、市民活動を支援するNPO「ウイリアム・テルズ アップル」を立ち上げた。困っている人と支援する人をつなげる中間支援をする事務局の役割を担った。1997年1月に島根県沖で発生したタンカー重油流出事故、2011年3月の東日本大震災でも被災地に駆け付けて支援活動を行った。中村さんが立ち上げた中間支援の事業は現在、行政が担っている。中村さんは伊賀市の災害ボランティアセンター長として、いまも被災地とボランティアをつないでいる。
「和菓子職人」と「災害ボランティア」の2つの顔
試作を繰り返す和菓子職人、災害ボランティア――。2つの顔を持った中村さんが、大叔父の死という悲しい出来事をきっかけに「おかゆ大福」を生み出したのは、こう考えると必然だったのかもしれない。
のどに詰まらないおかゆ大福はいま、大福を食べたくても食べられない高齢者に広がっている。2015年には4施設だった病院・介護施設からの注文は、2023年には268施設に増えた。当初年間9万円ほどの売り上げは、新型コロナの流行時期に一時下がったものの2023年には約610万円に増加。店の看板商品に成長している。
注文したことがある高齢者施設「ハーモニーハウス伊賀大山田」(三重県伊賀市)の施設長に、おかゆ大福について話を聞いた。
ここではお菓子を施設内で手作りすることが多く、入所者には1個50円で提供している。おかゆ大福は1個150円と決して安くはないため、予算の都合上、施設内でイベントを開く時だけ注文しているという。
「おかゆ大福はこれまで4回ほど注文しています。利用者さんの食事形態はそれぞれ違うんですが、どの人にもそのままの形で提供できるんです。そして『食べやすかった』『おいしかった』と喜んでもらえています」
施設の食事は、利用者の嚥下状態に合わせて通常食、一口大食、刻み食、ペースト(ミキサー)食とさまざまだ。しかし、おかゆ大福は形を崩さず提供でき、介助する職員にとっても「安全に食べてもらえて安心」だと施設長は話してくれた。
毎月78個を注文する島のお客さん
中村さんには忘れられないお客さんがいる。
「必ず毎月一度、女性からおかゆ大福78個の注文電話があって、宅配で送っていたんです。でも1年経った時、さすがにどんなお客さんだろうと不思議に思って、住所を頼りに訪ねたことがあるんです」
その住所は、三重県鳥羽市にある鳥羽港から船で1時間の離島。店のある伊賀から片道3時間半の場所だった。
「連絡をしてなかったので、島の人に家の場所など聞きながら行きました。そしたら高齢のご夫婦2人暮らしだったんです」