「なんじゃこれ? こんなの売れるの?」
大福の皮、餡、それに皮と餡の相性……。まるで3次方程式を解くような難しさがある。おまけに温度や天候によって食感が変わってくる。
詳しい材料の配合や作り方は企業秘密だが、試作を続けるなかで伸縮性、粘性、集合性(ばらけ度合い)の黄金比を探り当てたような瞬間を感じた中村さん。
「常に走りながら商品を作る感じですよ」
中村さんはそれからも隙間時間を使い、微調整を続けた。
「おかゆ大福の試作を、妻に食べてもらったんです。そしたら『なんじゃこれ?こんなの売れるの?』と言われました(笑)。当然なんです、大福ってもちもちして伸びるのが普通なのに、今までの食感とは全然違うわけですから」
中村さんは介護施設に出向き、高齢者の人たちに試食してもらうことにした。
「商品の味や安全性をプレゼンして、試食してもらったんです。その中に泣いて喜ぶ方がいて。大福はもう食べられないと思っていたけれど、また味わえたって……」
100人の試食で、この1人の強烈な反応だけでいいと語る中村さん。その後、必ず喜んでくれる人がほかにも出てくると確信したという。そして2015年、おかゆ大福と名付けて店頭に並べ始めた。
そもそも、なぜ"おかゆ"だったのだろうか。
「うるち米で作った大福という意味を込めたかったんです。でも『ごはん大福』じゃ、お菓子に思えないですよね」と中村さんは笑った。その後すぐに名古屋のテレビ番組で紹介され、おかゆ大福の知名度はだんだんと高まっていった。
地元の有機農家との出会い
おかゆ大福の誕生には、もう一つの欠かせない要素があった。それはある有機農家との出会いだ。
話は1994年にさかのぼる。家業を継いで7年目を迎えた中村さんは、お菓子作りで出る廃棄物に考えを巡らせていた。
「例えば、缶詰に入っている栗の甘露煮を使うと、糖蜜が残ります。これを何かに使えないかと考えていたところ、地元の有機農家さんの話でひらめきました。有機栽培は土作りをするので、その堆肥に使えそうだと」
店から出る廃棄物が、栄養豊富な肥料として農家や畑の役に立つと知った中村さんは、糖蜜を農家の人たちに無償で提供することにした。いままで付き合いのなかった地元の他業種の人たちとつながり、仕事に楽しさを感じられるようになっていた。
そこに阪神・淡路大震災が起きる。1995年1月17日未明のことだった。
「糖蜜をどうしようか考えていた時にヒントをくれた有機農家さんから、被災地にボランティアへ行こうと誘われました。僕たちは炊き出しに必要な大釜や大鍋などを車に積んで、神戸市の長田区まで向かいました」
ある有機農家の1人が神戸市役所に電話をかけ、神戸市長田区にある神戸常盤短期大学(現在の神戸常盤大学)で炊き出しを行うことになった。地震発生から1週間後、中村さんは15人ほどの有機農家のグループと一緒に5~6台に分かれて被災地に向かった。