遊廓のガイドブック「吉原細見」の企画編集を任される
場所柄、販売の主力商品は「吉原細見」という遊廓のガイドブックです。吉原内の略地図をはじめ、妓楼の場所や遊女の名前などが記載されていました。通常、春と秋の年2回発行されていました。実用的なガイドブックとしてだけでなく、江戸みやげとしての需要もあり、隠れたベストセラーだったといいます。
当時「吉原細見」は、江戸の大手版元である鱗形屋孫兵衛(「べらぼう」で演じるのは片岡愛之助)が独占販売をしていました。しかし遊女の出入りが激しいにもかかわらず、あまり改訂されずに情報が古いことも多く情報誌としての信用が落ちていました。このままでは売り上げに響きます。そこで情報をアップデートするために「細見改め」に抜擢されたのが蔦重だったのです。
「細見改め」とは今でいうリサーチャー兼編集者で、遊女の最新情報などを集めて新しい「吉原細見」を企画編集する仕事でした。吉原で生まれ育ち、人脈がある蔦重にはぴったりの役割といえます。
蔦重は、鱗形屋の下請け(今で言う編集プロダクション)というポジションで、「吉原細見」の企画編集に携わるようになったのです。
25歳のころ、自分で新しい「吉原細見」を出し、大版元に勝利
それまで、本のレンタルと販売だけを商売にしてきた蔦重ですが、ここから版元として本の制作分野に進出していきます。
蔦重が初めて版元として出版したのは安永3(1774)年7月刊行の『一目千本 華すまひ』です。これは人気絵師である北尾重政が、遊女の評判を生け花に見立てて描いたという風雅な画集で、実用性よりも妓楼や遊女から上客への贈呈用に買い取られたとされています。
その後、鱗形屋の従業員が重板の罪(今でいう「著作権の侵害」)を起こして謹慎処分となり、「吉原細見」を出せないという事態に陥ります。蔦重はその間隙をぬって自らが版元となって「吉原細見」を出版します。
吉原のことを知り尽くした、蔦重版「吉原細見」はたちまち大人気になりました。その後、鱗形屋版「吉原細見」の刊行も再開されましたが、蔦重版には勝てず、7年後には蔦重版が独占状態になりました。やがて大手版元だった鱗形屋は衰退し江戸の出版業界から姿を消すことになります。