蔦重版「吉原細見」が画期的だった3つのポイント

① 最新の情報にアップデート

それまでの「吉原細見」は、情報が古かったり間違っていたりすることが多く、信頼性に欠けていました。そこで、蔦重は店を回って最新の情報に書き換えました。店や遊女の格付けや詳細な料金などの情報も充実させたのです。吉原の事情通である蔦重にはうってつけでした。

蔦屋重三郎版『吉原さいけん』、安永8年(1779)、 出典=国立国会図書館デジタルコレクション
蔦屋重三郎版『吉原さいけん』、安永8年(1779)、 出典=国立国会図書館デジタルコレクション
② 有名人の序文で箔づけ

蔦重が細見改めとして最初に関わった「吉原細見」のタイトルは『細見嗚呼御江戸さいけんああおえど』。その序文を人形浄瑠璃の人気作家・福内鬼外ふくちきがいに依頼しました。福内鬼外は、エレキテルの発明などで有名なマルチクリエイター平賀源内ひらがげんない(「べらぼう」で演じるのは安田顕)のペンネームです。この序文は大きな話題を呼んだといいます。

耕書堂の独占状態になって最初の「吉原細見」である『五葉の松』は、序文を朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじ(同・尾美としのり)、跋文ばつぶん(あとがき)を四方赤良よものあから大田南畝おおたなんぽ)、祝言狂歌を朱楽菅江あけらかんこう(天明狂歌四天王のひとり)という有名作家3人の揃い踏みでした。 

その後も、有名人やベストセラー作家の序文で箔をつけ、「吉原細見」のブランドを高めることに成功しました。

蔦屋重三郎版『吉原さいけん』、安永8年(1779)、 出典=国立国会図書館デジタルコレクション
蔦屋重三郎版『吉原さいけん』、安永8年(1779)、 出典=国立国会図書館デジタルコレクション
③ 判型レイアウトの変更で「薄い、安い、見やすい」へ

安永4(1775)年、蔦重が版元となって最初に刊行された細見『まがきの花』は、今までの鱗形屋版細見から見た目が大きく変わりました。

「横長」から「縦長」になり、大きさも約2倍に判型を変更しました。これは現在の単行本の判型四六判とほぼ同じになります。通りを真ん中に配置し、その両側に店を書き込む等、遊廓の位置関係をよりわかりやすくしました。

蔦屋重三郎版『吉原さいけん』、安永8年(1779)、 出典=国立国会図書館デジタルコレクション
蔦屋重三郎版『吉原さいけん』、安永8年(1779)、 出典=国立国会図書館デジタルコレクション

判型とレイアウトの変更で、ページ数を減らしたことにより、大幅なコスト削減に成功します。その分、安価で販売することができました。「薄い、安い、見やすい」と喜ばれたのです。

このように、かゆいところに手が届く蔦重版の「吉原細見」は大ヒットします。春秋と2度の改訂版が出て、そのたびに一定の売り上げが見込めます。また吉原の各店からの広告収入もあります。