水問題は世界でも類を見ない海底水道の大工事で解決

離島の生活で最も大変なのは、水の確保だ。端島はもともと南北約320m、東西約120mの岩礁からなる島で、水源がない。1891(明治24)年に設けられた製塩装置による塩の精製過程で造られる蒸留水を、各家庭に飲料水として配給していた。

昭和30年代の軍艦島の生活風景。行商のほか常設の個人商店もあった
写真=軍艦島デジタルミュージアム
昭和30年代の軍艦島の生活風景。行商のほか常設の個人商店もあった

それだけでは当然水は足りず、飲料水以外の生活用水には海水を使用し、さらに昭和に入って、給水船「三島丸」が運航を始めた。のちに船は3隻まで増やされたが、まだまだ水不足解消には至らなかった。

風来堂『カラーでよみがえる軍艦島』(イースト新書Q)
風来堂『カラーでよみがえる軍艦島』(イースト新書Q)

1956(昭和31)年に、九州本土から端島へ海底水道をひく工事が始まる。野母崎半島から約6.5kmにわたり海底に2本の鋼管を通した、日本初、世界でも類を見ない工事だった。約1年後に水道が開通。1日あたり約1000tの生活用水の供給が可能となり、家々に水がいきわたるようになった。この様子もドラマで描かれた。

「海に眠るダイヤモンド」では、今はもう歴史の中で語られるだけの離島の、華やかなりし頃の様子をリアルに感じることができる。この賑やかな時代から、やがて閉山へと向かう姿がどのようにドラマで描かれていくのかも、まだまだ気になるところだ。

参考文献:後藤惠之輔・坂本道徳『軍艦島の遺産 風化する近代日本の象徴』(長崎新聞社)
黒沢永紀『軍艦島 奇跡の産業遺産』(実業之日本社)

(構成・文=加藤きりこ)
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