「僕、やっとふつうの人間になれた」
周囲の人間は、その剣幕にみな目を見張っている。テレビ局の人間も慌てていた。マスコミの人間もその場にはいる。どう書かれるかわからない。さすがに言いすぎたかもと思った萩本は謝った。ところが、案に相違して、向こうのリーダー格の少年も謝ってきた。そしてこう言った。
「僕、生まれて初めて人に怒られた。でも欽ちゃんは僕をふつうの人とおなじように扱ってくれたから、真剣に怒ってくれたんだよね。僕、なんかやっとふつうの人間になれた気がする」(同書、119頁)。
これを機に仲良くなった2人のあいだには、こんなやり取りもあった。
少年が、「欽ちゃん、よく二郎さんのことどついてたよね。僕、まだだれからもどつかれたことないから、僕のことどついてくんないかな」と頼む。萩本は、「おい、また走ってんな。邪魔なんだよ、お前は!」とツッコみながら、頭をぽーんとぶつ。すると少年も負けてはいない。「このやろ~、だれにも殴られたことのない俺を殴ったな!」(同書、189~190頁)。
「欽ちゃん=日本社会」だった
このエピソードは、「欽ちゃん」の笑いが有していた包容力の大きさを物語っている。1970年代、「欽ちゃん」の笑いは、二郎さんのようなプロだけでなく素人も相手にするようになった。そしてそれは、決して一方的なものではなかった。素人もまた笑いに参加することを求め始めていた。
その広がりは、笑いの当事者にすることがまだはばかられるような障害のある人びとがそこに参加したい思いをかきたてられるほどのものだった。その意味で、当時「欽ちゃん」という存在は、テレビを通じ日本社会そのものと言ってもいいくらい巨大なコミュニケーションの輪の中心にいた。
『24時間テレビ』の総合司会というポジションは、本人にとっては戸惑いもあったにせよ、時代が求める必然だった。それは、萩本欽一ならではの笑いのコミュニケーションが引き寄せたものだったのだ。