自称「元プー太郎」が手掛けた高知の山奥の「道の駅」大人気
高知県西南部に位置する、四万十町。“日本最後の清流”四万十川の知名度は高いが、もうひとつ全国から注目される存在がある。道の駅「四万十とおわ」(以下、とおわ)だ。
アクセスは悪い。高知市内から車で2時間超もかかる。それでも近隣の県だけでなく、遠くの関西や関東からもわざわざココを目当てに訪れる人もいて、来訪者は年間15万人超。『道の駅 最強ランキング』(晋遊舎刊、2024年5月)では全国1213中13位にランクインするほどの人気スポットだ。
四万十川を見下ろすロケーションにあるとおわの産直ショップに並ぶのは、地元の栗や芋、お茶など。食堂では天然鮎やウナギなど流域で獲れた新鮮な食材の料理も味わえる。
このとおわの立役者が、四万十ドラマ(本社:高知県高岡郡)の代表・畦地履正さん(60)だ。
とうわが、「どうせ失敗するに決まっている」と言われながらも、2007年にオープンしてからの2018年までの10年間、運営責任者として指揮を執り、何と年商5億円を叩き出す。だが、その後、ある事情から道の駅運営から離れ、一転、自分が経営する会社は2020年に倒産寸前の危機に立たされたという波乱万丈の人生。
過疎の自治体も目立つ中山間地域で、畦地さんはどう商品開発をして億単位を売り上げたのか。また倒産危機をどう脱したのだろうか。
「ここにあるもの」の価値を知り、伝える
高校を卒業した畦地さんは、夜間大学に通いながらアルバイトに明け暮れる自称“プー太郎”で、先輩の紹介で高知市内の通信関連会社に就職し、企業の内線電話回線の工事業務を担っていた。2年後の1987年、母の”コネ”で十和(とおわ)農協(現・JA高知県十和支所)に転職。当時は志もなく、第三者がすすめるレールの上を歩むだけだった。
農協の主な仕事は、農家に肥料やガスを配達すること。8月終わりから10月までの栗の繁忙期には「栗の選別に行け」と指示されたまま動いていた。どこか「何で俺が?」という取り組み方だったが、この経験が人生の大きな転機となるのだから面白い。
「当時は四万十流域だけで500〜600tほど獲れました。農家の家に呼ばれ、2tトラックで栗を集荷に行ったことも。大変な作業でしたが、この時に栗農家さんとの繋がりができたんです」
その後、畦地さんは地域づくりの勉強会で、後の師匠となる人物に出会う。年間売り上げ5億円を誇るゆずジュース「ごっくん馬路村」など、高知県内のヒット商品を数多く手掛けるデザイナー梅原真さんだった。そうした実績は当初は知らなかったが、2度目に会っていきなり叱られた。
「高知市内には鰹のたたきがあるけど十和には何もないとこぼしたら『何言うとんじゃ!』と1時間説教されたんです。目の前の川では天然鮎がとれる、築地の料亭で食べたら1匹3000円やぞ、原木椎茸は肉厚、お茶は手摘み。その価値がわからんか? と、それはすごい剣幕で怒られ続けました」
怒られたものの、不思議に腹落ちするものがあった。元プー太郎でコネ入社という他力本願型だった畦地さんの中で、人生で初めて「気づき」が生まれ、自発的に動いてみようという気持ちになったのだ。以来、「ここにあるもの」に注目し、価値を見い出すようになる。
はじめて手がけたのが、四万十産の手摘み茶。それまでずっと静岡茶にブレンドする補助のお茶として生産され、茶業組合がまとめて静岡に出荷していた。その現状を打破するため「四万十川のほとりで新茶を楽しむ会」を開き、栗羊羹付き1杯100円で販売した。満員御礼。たちまち「渋みのなかに甘みがある茶」と評判になり、畦地さんは手応えを感じた。働くことが楽しくなり、どんどん前のめりになっていく。
3年ほど経過し、畦地さんは、農協職員の立場では地域の価値を打ち出す活動に限界があると痛感。1994年、農協を退職する。