子育てと外科医の仕事、両立を目指したが……
「患者は自分の命を私たちに預けてくれるのです。メスを入れる立場として、知識と手技を常にアップデートして最高の外科医を目指しています」
外科医になって5年目に結婚、6年がたったときに子供を授かり、河野さんはいったん職場を離れた。復帰後は、学生時代から希望していた乳腺外科を専門科として選択するつもりだったという。ところが……。
「『お子さんがいるなら乳腺外科ですね』と言われて、はて、と思ったんです。“子供がいるから”という部分に違和感があって、とっさに『消化器外科でお願いします』と答えました。その一言で、私の人生が決まりました」
当時、外科は24時間365日働くのが当たり前で、子育てと外科職務を両立することは極めて難しいという考え方が一般的だった。
河野さんは、病院から徒歩1分のところに移り住み、朝8時から勤務して夕方いったん帰宅、子供の食事や入浴を済ませた後は会社員の夫に託し、自分はまた病院に戻り深夜まで勤務する、といった生活を自分に課した。
「当時、私より上の世代で活躍している女性外科医はごくわずかでした。プライベートを犠牲にして仕事にまい進してきた、極めて優秀な人だけです。私は、子育て支援が充実している病院に勤務していましたが、それでも泣く泣く外科を去る後輩外科医を見てきました。もし私が夢と希望を与えられる仕事をしていたら、後輩たちは仕事を辞めずに済んだかもしれない。引き止める力もなく、ただただ唇をかみしめるしかなかった。情けなかったです」
2008年、河野さんは日本外科学会定期学術集会で「子育て外科医は継続可能か?」というタイトルで発表した。当時は「男女共同参画」といったカテゴリーはなかったが、自分にしかできない女性目線の発信をしていこうと、その後も学会での発表を続けてきた。
「外科を志した女性が普通に働ける環境にしたい、そんな思いが強かったですね」
女性外科医を取り巻く環境の一つに、手術器具の問題もある。
「外科手術に使う医療機器は海外メーカーのものが多く、それらは欧米の男性の手の大きさや握力に合わせてつくられています。手術の際、血管や腸管などをしっかりつなぐことが求められますが、女性医師にとってそれらの器具は重くて大きすぎるので、正確かつ繊細に使いこなすことが大変に難しかったのです」
11年、河野さんは「外科医の手プロジェクト」を発足。メーカーと交渉して、男女共用仕様の医療機器の開発に携わるようになる。
15年には、東京大学の野村幸世さん、日本バプテスト病院の大越香江さんと共に、女性消化器外科医に対する臨床・研究および手術手技向上のための支援、情報交換、教育啓発活動などを目的とした「消化器外科女性医師の活躍を応援する会(AEGIS-Women)」を設立。子育て中の女性医師でも参加しやすいよう託児サービス付きのセミナーや、セミナーのオンデマンド配信などもスタートさせた。
獅子奮迅の活躍を続ける河野さんに、16年、大きな出来事が起きた。弟が、すい臓がんで亡くなったのだ。
「ショックを受けたと同時に、自分が患者の家族になってみて、患者やそのご家族が、どんな思いで病気と向き合っているのか、身に染みました。絶望のどん底にいるとき、外科医の存在がどんなに救いになり希望になるのか。以前にもまして私は外科医として患者と向き合うようになりました」
子育てと家事、外科医としての仕事、医療機器の研究と開発、そしてAEGIS-Womenの活動。四刀流の日々を懸命にこなした河野さんだが、3年目に自分の体が悲鳴をあげて倒れてしまった。