稲盛氏の魅力は“優しさ”にある

私は、その後30年弱、稲盛さんの近くで働くという幸運に恵まれたのですが、厳しいというより、思いやりにあふれる優しい上司だったという思い出のほうがはるかに多いように感じています。

本書でこれまで紹介した稲盛さんの多くの言葉も優しさにあふれています。稲盛さんに接したことのある社員の多くは、「稲盛さんに叱られたからではなく、稲盛さんの優しさに引かれて、稲盛さんの期待に応えようと頑張ってきた」と話していました。

レイモンド・チャンドラーが言うように、人間は「強くなければ生きていけない」のですが、それだけでは人がついてくるはずもなく、組織をまとめることができるはずもありません。なぜなら「優しくなければ生きていく資格がない」からです。

稲盛さんは「強い者と弱い者がいるのは当然、だから優しさが必要だ」とも話していました。どんな組織であれ、うまくいっている人とそうでない人がいます。

本当の優しさとは、成果はなかなか上げられないけれど真面目に一生懸命頑張っている人、思いもよらない困難に直面している人、弱い人に向けられるべきであり、それで全体のバランスが取れるということを稲盛さんは教えているのです。

リーダーは「実践」が必要

あるとき、稲盛さんが一人の幹部に「自分を律せないのに、他人を律せるのか?」という問いかけをし、さらに「自分がいいかげんなくせに部下がだらしないと怒るけれど、それはお前の真似をしているんだ」と注意をしている様子を見て、ハッとしたことを覚えています。

私に向かって発せられた言葉ではないのですが、私の言動にまさに当てはまっていると感じ、恥ずかしくなってしまったのです。

稲盛さんは故郷の鹿児島に残る「島津日新公いろは歌」にある「いにしえの道を聞きても唱えても わが行いにせずばかひ(かい)なし」という和歌や、安岡正篤さんの「知識」「見識」「胆識」という言葉を紹介し、リーダーがいかに多くのことを知っていても「胆識」がなく、実践できなければ意味がないと強調していました。

多くのことを学び、「知識」や「見識」があることはリーダーの前提条件です。それなくしての実行力は蛮勇でしかありません。しかし、せっかく多くを学んでも、実践しなければ価値はないというのです。

そのこともあり、稲盛さんは、フィロソフィをベースとした経営をする際の注意点として、「フィロソフィが空念仏になっては意味がない」と警鐘を鳴らしています。