「できたのか、できなかったのか」2択で迫る
つまり、「なぜ十分に前広に予約システムで予約を取らなかったのか。もっと前に取っていれば、システムエラーが発生する前にチケットをとれたのではないか?」と言ってしまうと、「一日前は会社の休日だったので事前に予約するのは無理だった。自分は早めにやろうと思ったが当日にならないと上司が承認してくれなかった。エラーが発生するのはめったにないことで早めに予約する理由はなかった」等々、彼らはいくらでもネタを見つけてきて議論を煙に巻くことができる。
これに巻き取られてしまうと、いつの間にか、あなたが知りもしない旅行エージェントの社内承認プロセスを分析して本当に彼らが事前に予約手配ができなかったのかを証明するという意味不明な方向に達してしまう。
ここでやらないといけないことは、
What did I ask you? Did you complete what I asked? Yes or No.
「私が君に頼んだのは何だった? それはできたの? イエスかノーで答えて」
という単純な問いを発して事実を確認することである。
そして、
If it was not done, it means that you didn’t perform what you were expected to do and your job.
「それができていないのなら、君は任された仕事は遂行できなかった、ということだよ」
という事実を認めさせることである。
背景にはインド社会独特の不安定性がある
責任転嫁話法の目的は責任から逃れることであるから、そこを確実にふさぎ切ることで相手の逃げ道をなくさなければならない。この問いを向けられた相手は、再びあることないこと様々な「できなかった理由」を並べるかもしれないが、本質的には、できなかった理由がなんであるかは、その仕事の達成責任から解放されたことを意味しない。あなたは同じ問いを繰り返すし、単純な事実の確認を要求すればよい。
この確認が取れたあとは、どのように相手を泳がしてもいいが、相手が責任転嫁の素振りを再度見せたら、
Whatever was behind, we confirmed the fact among each other that you didn’t perform what you needed to do.
「理由がどうであれ、やる必要があったことを遂行できなかったって、君も認めたよね」
というところに繰り返し戻ってくればよい。
少し話が脱線するが、なぜ背景や理由を丁寧に整理していくことが、インドではよくない手になってしまうのだろうか。そして、なぜ責任転嫁話法が機能しやすいのか。そこにはインド社会の不安定性がある。
インドでは、事実確認という作業が途轍もなく難しいのだ。先の例を挙げるとすれば、発生したシステム障害に関してインド国鉄が丁寧にアナウンスすることなど期待できないし、それが分かりやすい形で周知されていることも期待できない。ましてや本気でシステム障害の有無を確認しようとしても、一体どこの窓口に確認したらよいかも不明で、窓口の相手がまともに取り合ってくれるかどうかも怪しい。