緩和ケアと在宅介護
主治医に「緩和ケアに入りますか?」と聞かれ、見学をしてみたが、入れる気はなかった。
「夫は余命を、楽しいことをして過ごしたいと言っていましたし、私の中にも夫と離れるという選択肢はありませんでした。それに緩和ケアは、入っている人が高齢者ばかりで、死を待つだけの生活になる気がしたのです」
在宅看取りをする決意をした笠間さんは、すぐに介護ベッドを手配。6月の初め頃に介護認定調査を受けたばかりで、まだ結果が出ていなかったが、待てなかった。
「介護認定が下りる前になくなってしまったら実費ですが、そんなことを言っていられません。『ここからが私の踏ん張りどころ!』と気合を入れました」
6月29日。退院の日は大雨だった。
車椅子を押して、傘をさして、酸素吸入器も転がさなくてはならない。息子が学校を休んで手伝ってくれたおかげで助かった。
帰宅すると、夫は会社に連絡していた。便秘で入院するまで、夫はテレワークで仕事を続けていた。その後、夫に病状を説明し、口座凍結に備え、預金を引き出しにいく。
自宅に戻ってきた時は肩を貸して歩いていたが、10日後には歩けなくなり、家の中でも車椅子に。ほぼせん妄状態で、まともな会話はほとんどできない。その10日後、ベッドから起き上がることもできなくなり、完全に寝たきりになった。
7月に入り、笠間さんの母親と姉夫婦がお見舞いに来てくれた数日後、夫の両親と叔母、妹が来てくれた。その後、夫の友達も来てくれた。
7月11日。介護認定が下りた。要介護3だった。
「認定調査ではできたことが、認定結果が出た頃にはできません。すでに要介護4に値するレベルだったと思います」
介護ベッドなどは利用したが、笠間さんは自分でできることはいいと思い、訪問看護もヘルパーも頼まなかった。
ところが7月12日。ポジティブだった夫が初めて「もうだめだ」とこぼした。再びオキノームを20mgに増やす。
その晩、笠間さんがシャワーを浴びにいっている間に夫は酸素吸入器を外してしまった。見ていないとすぐに外してしまうため、笠間さんはかれこれ10日以上、ゆっくり湯船に浸かれていない。笠間さんがつけるように言っても、夫はつけないの一点張り。しばらく2人で言い合っていると、突然夫は電話すると言い出し、あろうことか110番にかけると、
「助けてください! 脅されています!」
と叫んだ。
びっくりした笠間さんはすぐに受話器を奪い、
「すいません! ガンの末期でせん妄が出ていて、何なら確認しにきていただいてかまいませんが、何もしてません!」
と言うと、警察も夫の呂律が回っていなかったため信用してくれた。
その後、今度はガタガタと介護ベッドを壊そうとし始め、笠間さんが「やめて!」と制するも聞く耳を持たない。バイトから帰宅した息子が穏やかに説得するも、床に寝転がったまま、「どーしてうちには親父がいないのか?」と意味のわからないことを口走る。笠間さんが「親父はあんただろ⁉」と言っても納得しない。
2時間説得の末、ようやく酸素吸入器をつけてくれた時、血中酸素飽和度は82。血中酸素飽和度とは血液中の酸素の量の事で「SpO2」と呼ばれている。値は%で表し、血液中の酸素の濃度が満タンだと100%、正常値で99~96%と言われる。